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BOOK占領期を知るための名著
- VOL.4
- 『敗北を抱きしめて』
ジョン・ダワー
ここでは、小説家・文芸評論家の野崎六助が
過去の名著から占領期の時代背景を考察します。
第4回 『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー
contents
『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー
3年をおいて実現した『敗北を抱きしめて』増補版には、約100点の図版が追加された。これは、アメリカ版にもない日本語版オリジナルの創りだ。視覚的な資料は独自の雄弁な「テクスト」だ、とする著者の持論も序文で述べられている。
まず、追加されたヴィジュアル資料のことから始めよう。
わたしが最も驚かされたのは、下巻の34、35ページの見開き。「皇室招待の鴨猟」の写真だ。この本で初めて接した。図版は、『ライフ』誌1947年1月7日号のグラビアからのもの。
総力戦時代にも超然として優雅な上流生活を送ることの出来た階層がいた事実を知らないわけではなかった。しかし……。このような生活の一コマを記録写真で見たことの驚きは格別のものだった。
下巻は、「天皇制民主主義」とサブタイトルされた三つの章から開始され、本書の頂点をなす。
天皇制と民主主義の合体。それは、現実のものとなるまで、誰も想像することのかなわなかった政治システムに違いない。すべての日本人という理論モデルを著者が仮構した時、その筆頭に「天皇ヒロヒトの個別の闘い」があったらしいことを深く納得する。
占領軍の戦略に支えられ、天皇制支配システムの強固な伝統にも助けられたとはいえ、ヒロヒトのしたたかな延命術は、ひとつの民族的秘儀——奇蹟だった。
結果的に、彼は、戦争責任の免除、天皇制支配構造の存続、彼自身の終身在位確定の三点を勝ち取った。これを、秘蹟のハット・トリックといわずして何といおう。支配階級の生き残り策としては、どんな政治家も彼の鋭敏さにおよばない。
占領軍がプレゼントしてきた民主主義は、彼自身の政治的特権をおびやかすものだった。彼はそれに反対するよりも、そこに同一化をはかるという不可能な隘路に向かった。戦時に流行した哲学用語「絶対矛盾の自己同一」の実践を目論むかのようにも——。
あまつさえ、彼は、その選択を、彼の祖父に始まる近代天皇制の路線を「正当に」受け継ぐかたちでやってのけた。彼は、彼自身の「人間化」と「象徴化」が「国民の総意」によって権威づけられるかのような詐術をも弄した。そもそも、「国民」などという存在は敗戦社会が到来するまで実体ですらなかったにもかかわらず、である。
こうして彼は悠々と「人間」に天下ったわけだが、その決して平坦ではありえなかった「激動の変身」のグロテスクな過程を、本書は、手際よく記述している。そして「天皇制民主主義」の全三章の独自な考察は、その終わり近くになって、さらに精彩をはなつ。
著者が、天皇に直接対決する思想的敵対者として選んだのは、『砕かれた神』の筆者、渡辺清である。
《著者である渡辺清が一九四五年九月から一九四六年四月にわたってこの日記を書いたとき、彼は正規の教育をわずかばかり受けただけの復員兵であった。渡辺は敗戦の年の十一月に二〇歳になったが、自分の誕生日を祝った様子はない。彼は天皇に裏切られた憤りで消耗しきっていたのである。》
ダワーは、『砕かれた神』を数ページにわたって要約紹介する。ただ、勝手に「人間化」を果たした「神」を呪詛する一人の復員兵士の像を裸に対峙させる。その対照によって、事余を読者の思考にゆだねる方法をとっている。
著者が示唆するように、渡辺のケースは、すべての復員兵士(散華していった者もふくめて)の戦後のひとつの典型だった。絶対少数であっても、特殊な事例として片づけることは正しくない。日本的ミラクルとしての戦後天皇制への、全身全霊を賭けた反措定が、一人の人物に体現された、というべきである。
それに関連して、もう一点、あまり重要な記述とはいいがたいが、後の章で、総力戦下の観念論哲学者田辺元の戦後的変身を吟味する部分を紹介しておこう。
田辺が戦後すぐに上梓した『懺悔道としての哲学』にふれて、著者は、それが日本政府の標語だった「一億総懺悔」と共鳴するものだと看破する。田辺を《この国でもっとも影響力をもつ思想家のひとり》と書く著者の評価はピンとこないが、その懺悔の精神構造への分析には教えられるものが多い。
田辺の自責において立ち現われてくるのは親鸞だとダワーは指摘し、その自己糾弾が親鸞《からの盗用のようにも読める》と書く。日本の観念論哲学のひとつの水準が、水平軸では時の政府の方針と共通する徹底した無責任さをみせ、垂直軸では親鸞という普遍的な伝統に寄り添った、という理解であろう。
親鸞は、戦後過程をとおして瞥見しても、じつにおびただしく人びとの思考に蘇ってきている。いかにダワーが博学であっても、それらを全般的にチェックすることは不可能であろう。また、要求することもおかしい。親鸞の不朽性は、異国人の眼には、日本人の「心の古里」的な思考形態に映るのかもしれない。
ただ一点、残念なのは、少し後に書かれた服部之聰『親鸞ノート』一冊を参照してもらいたかった、ということに尽きる。田辺の「無責任哲学」など、どのように取り扱われようが、たいした興味はわかない。親鸞を「盗用」するかのような苦悩のポーズこそ日本人らしいと観察されるなら、ムキになって否定も出来かねるだろう。
しかし、それもまた「敗北を抱きしめる」民族性の顕著な一面であると決めつけられるのなら、反証の材料をいくつか集めたくなるのも自然な反応ではないだろうか——。
マルクス主義者服部による『親鸞ノート』は、わたしはかなり手遅れになってから思い当たったことではあるが、「戦後文学」のひとつの結実だった。そこにダワーの「古典作品」の複眼的視点がとどいていかなかったことは、いかにも残念だ。
ここでいう「戦後文学」とは、ひとつの限定的な領域(埴谷雄高、椎名麟三、野間宏らの初期作品)のみを意味する。日本近代文学の主流と徹底的に対峙した観念彷徨の懐柔幽冥な世界であり、当然ながら薄命のうちに霧散していった。活字作品こそ残存してはいるが……。私見によれば、服部之聰『親鸞ノート』は、それらの遺産に連なるものである。
『敗北を抱きしめて』の射程は、その深度までは達していない。さらなる深みに挑むことは、この本によって(想像力的に)対象化された「すべての日本人」に課される痛切なテーマでありつづけるだろう。
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プロフィール:野崎六助(のざき ろくすけ)
1947年 東京生まれ。
1960年から1978年 京都に在住。
1984年 『復員文学論』でデビュー。
1992年 『北米探偵小説論』で日本推理作家協会賞受賞。
1994年 『夕焼け探偵帖』で小説家デビュー。
1999年 小説『煉獄回廊』
2008年 『魂と罪責 ひとつの在日朝鮮人文学論』
2014年 電子書籍kidle版『李珍宇ノート』『大藪春彦伝説』『高村薫の世界』
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nozaki
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/
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