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坂本義和/R・E・ウォード編『日本占領の研究』 袖井林二郎編『世界史のなかの日本占領』

GREAT BOOK占領期を知るための名著

VOL.30
坂本義和/R・E・ウォード編
『日本占領の研究』
袖井林二郎編
『世界史のなかの日本占領』

ここでは、小説家・文芸評論家の野崎六助が
過去の名著から占領期の時代背景を考察します。
占領期を知るための名著シリーズ 第30回

contents

 

坂本義和/R・E・ウォード編『日本占領の研究』
袖井林二郎編『世界史のなかの日本占領』

 竹前栄治は、占領史研究の課題として共同研究の必要性を述べている。占領が一つの時代の政治・経済・社会・文化・生活領域のすべてにわたるものであった以上、それは、当然の要請だった。前回に紹介した思想の科学研究会による労作は、そうした共同研究の代表的な成果といえる。竹前自身、専門の研究者として『共同研究 日本占領』および『共同研究 日本占領軍その光と影』に寄稿しているし、研究会にも参加していたのだろう。
 思想の科学研究会による協同作業は画期的なものだったが、考えを転じてみると、他に同様の実例を見いだすことは出来ないのだ。つまり、共同研究として唯一の「遺産」だということになる。前回、この共同研究について「戦後民主主義が正常に機能していた時代」の貴重な結実、と位置づけたのは、そういった観点からだった。
 こうして、占領史研究は、現代史の課題ではあっても、いつまでも「課題」でありつづけることになる。
 ここでは、アカデミズムからの試みの一つとして『日本占領の研究』をあげておこう。共同研究とはいっても、成り立ちの様相は、市民研究者主導によるものとはかなり異なっている。この共同研究の試みは、一九七二年頃からはじまり、日米の研究者がそれぞれの報告を持ち寄る、というかたちをとった。まず、研究者グループが「集まる」環境を調整する必要があった。その点だけみても、長い期間を算定しないと実現に到らない作業だった。
 思想の科学研究会の共同研究にあっても、アメリカ人研究者の参加が報告されているが、研究会の場所は日本の首都圏だったと思われる。日米の研究者が一定の交流を持ったというレベルには到っていない。
 編者を代表した坂本は、まえがきに、日米研究者の基本的な「違和」について触れている。米国チームの研究者が《現実に対日占領に関与した経験の持ち主が大きな比重を占めたのに対し》、日本チームは「占領される側」として占領時代を通過した経験の持ち主だった。であるから、米国チームは、占領軍の政策がいかに日本を変革しえたかに主要な研究興味を示した。これは、占領期の政治過程の全域を研究対象に拡げたい日本チームにとって一面的にすぎないように思われた。
 ごく控えめに、それも気取った学術語で表明されてはいるが、日米の研究姿勢の差異は、最初から甚だしいものだったのかもしれない。お互いに経験の落差が研究興味にバイアスをかけるのは「当たり前のことではないか」と思うが……。学術的共同研究の困難さが浮き彫りにされたようでもある。
 本書の内容は、一九七八年にハワイでひらかれた「会議」の報告を基にしている。刊行されたのは、その九年後。非能率的な時差を考えると、あまり楽しくなれない。
 十四本ある論考の最後に、大田昌秀「アメリカの対沖縄戦後政策 日本からの分離を中心に」が置かれている。
 沖縄が「不可分のテーマであること」は、日本人研究者に自覚されていながら、項目としては「日本から分離」される——。そうした占領研究の通例がここにも見つけられる、ということか。

 もう一点、学術的共同研究の例をみておこう。
 『世界史のなかの日本占領』は、一九八三年、東京でひらかれた「国際シンポジウム」三日間の記録である。刊行は一年半の後だから、資料として、学習意欲を阻喪させるような時差はあいていない。多岐にわたる報告と、それにたいする簡単な質疑応答を記録した形態なので、個々の論点の深まりまで要求するには無理がある。ただ、問題提起が並べられているのみでも、研究の足がかりにはなるだろう。
 なお、この学会には、セオドア・コーエン(GHQによる労働改革の要職を務め、回顧録『日本占領革命』の著書がある)も招かれていたが、急逝によって実現しなかった。
 編者を代表して袖井は、まえがきに、複眼的視点の必要を説いている。一は、地政的な拡がりへのアプローチ。日本占領を日米の二国間関係のみで捉える視点の不充分さ。アメリカによる軍政は、日本にたいしてと同時に、沖縄、南朝鮮、ミクロネシアで行なわれたが、日本におけるような「成功」はおさめられなかった。それは何故なのか。
 二は、時間的な拡がりへのアプローチ。占領期を単独に切り離して「研究対象」として特化してしまう傾向の誤り。一九四五年八月一五日以前の植民地経営時代、および、一九五二年四月以降の独立回復からの選択。それを「非連続の連続」として捉える歴史観の必要が提起される。
 その提起に応えるように、二つの報告がなされている。ジョン・メリル「アメリカの朝鮮占領」と林哲〈リム・チョル〉「南朝鮮占領史研究の深化を」である。


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  • 坂本義和/R・E・ウォード編『日本占領の研究』

  • 東京大学出版会 1987.2
  • 袖井林二郎編『世界史のなかの日本占領』

  • 日本評論社 1985.4

 

野崎六助
プロフィール:野崎六助(のざき ろくすけ)
1947年 東京生まれ。
1960年から1978年 京都に在住。
1984年 『復員文学論』でデビュー。
1992年 『北米探偵小説論』で日本推理作家協会賞受賞。
1994年 『夕焼け探偵帖』で小説家デビュー。
1999年 小説『煉獄回廊』 
2008年 『魂と罪責 ひとつの在日朝鮮人文学論』
2014年 電子書籍kidle版『李珍宇ノート』『大藪春彦伝説』『高村薫の世界』
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nozaki
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