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WEBマガジン・創刊の辞
およそ70年前、日本は国破れて、国土一面に焼け野原が広がりました。そこに、米軍を中心としたマッカーサーを最高司令官とする占領軍がジープとともにやってきました。
1945年8月15日のことです。真夏の青空のもと、ポツダム宣言受諾の玉音放送が流れ、悔し涙にくれる者も空襲に戦々恐々とすることもなくなると安堵感と解放感にホッとする者もあり、悲喜こもごも入り乱れました。そして9月2日、東京湾に浮かんだ戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印が行われて以来、日本は7年有半にわたり、マッカーサーが「神」になり、GHQの間接統治にとって統治されたのです。
この占領とはなんだったのか。GHQの2大勢力の抗争を反映して、当初は非武装化、軍国主義者ら戦争指導者の公職追放などが着々と進められ、政治面(女性参政権が獲得され、日本国憲法が制定される)、教育面(教育基本法の制定など)、宗教面(国家と神道の分離など)、農業面(農地解放)など広範に、ニューディーラー主導の民主化の攻勢が進展しましたが、報道、放送面ではプレスコードや検閲などGHQによる統制も行われました。それが朝鮮戦争勃発の前後から「逆コース」の流れが強くなり、レッドパージや警察予備隊の創設をはじめ軍事化へと舵が切られました。
その中で講和への動きが進められ、国際社会の孤児から仲間への復帰が準備されました。国際連合への加盟とか、幻に終わった40年東京オリンピックの反省に立っての「64年オリンピックの開催地を東京へ」という運動などが主なものとしてあげられるでしょう。
こうして見てくるだけでも、今日の日本が抱える問題の多くが発祥したり、大きく影響を受けて変容されたのが占領期であることは明らかです。しかし、先に亡くなった国民的俳優、我らの高倉健さんが思春期に海外との貿易という仕事にあこがれ、進駐してきた占領軍の司令官の息子と友人になり、英会話クラブを作ったというエピソードはあまり知られていません。また、沖縄の問題でもサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効した際、切捨てられ、72年に本土復帰を果たしましたが、米軍基地はそれでも提供され続けています。なお、奄美群島は53年に、小笠原諸島は68年に復帰していることを忘れてはいけません。
そこで、私たちは、占領とはなんだったのか? そのことの影響を、政治面などさまざまな社会面や文化面で受け続けているのかを考察する必要があると考えます。それが、これからのわれわれの暮らし方や、われわれが住むこの国のあり方を議論するうえで、不可欠ではないでしょうか。そのためには、日本各地での多くの方々の占領期体験あるいは、そのころの時代の痕跡をとどめる物を集めることが肝要ではないでしょうか。しかし、時間は切迫しています。占領について実体験のある方々は、80歳に近い人以上でしょう。その方々の証言を得るには、あまりにも時間がありません。
占領とはなにか、を考えることは豊穣の営為です。この時代を証言し、それを記録する営為の意義をぜひともご理解いただきたいのです。
そのため、その証言を集め、発信するWEBマガジンをここに発刊します。
制 作・太田 稔
編集人・小川 真理生