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あの頃……

THOSE DAYS流行歌、映画の情報などお届けします

・9月5日に肺炎のため神奈川県内の病院で、“永遠の処女”と言われた映画女優の原節子が95歳で亡くなっていたことが、3カ月ほどした11月に分かった。敗戦直後の1945年9月から11月にかけて、アメリカの陸海軍合同機関の戦略爆撃調査団(44年11月設置)が原爆や空襲の効果を検証するために来日。ハリウッドで学んで帰日していたカメラマンのハリー・三村明をも手伝わせて広島・長崎をはじめ京都や宝塚を撮影していました。それは当時貴重だったカラーで撮影されたものです。その中に、黒沢明監督の「わが青春に悔なし」(1946年公開)のロケ風景があった。そのフィルムには、花畑で遊ぶ原節子がカラーで映っていた。原節子のアメリカ戦略爆撃調査団が撮影したカラー映像は、以下のユーチューブの映像で見ることができます。


「終戦後の日本(2)昭和20年でなんとカラー映像!」
見た限りでは、その映像をNHKのニュースだけが使っていた。

 

・敗戦直後の荒んだ世相に明るい笑いを提供した人に、三遊亭歌笑がいる。彼は「爆笑王」とか「笑いの水爆」と言われ、駆け出しの頃の初代林家三平の目標になったという。しかし、人気絶頂の50年5月に東京銀座の松坂屋前で米軍のジープに轢かれ亡くなっている。その芸については、「小沢昭一の観た! 聴いた! 戦後寄席演芸史[ラジオ音源]」の第一部

第二部

のうち、第二部の冒頭で紹介されている。

 

・戦後戦地から引き揚げてきた人たちや焼け野原で復興に立ち上がりつつあった人たちの絶望や悲哀を慰めてくれたものに、ラジオから流れる童謡歌手・川田正子の唄声があった。
1946年の「みかんの花咲く丘」や、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(菊田一夫作)の主題歌「とんがり帽子」(47年)などを年輩の人なら誰でも懐かしいのではないだろうか。

で、そのきれいな歌声に癒されてください。