GHQ CLUB. あの日あなたは何をしていましたか? あなたにとってGHQとは?

HOME > 地方占領期調査報告 > 地方の占領期 第7回「戦後の常磐線」

地方占領期調査報告

INVESTIGATION REPORT
地方の占領期 第7回「戦後の常磐線」

地方の占領期 第7回「戦後の常磐線」

 常磐線の占領期はどうだったのを見てみよう。
katayosejyobansen_021.pdfによれば、以下の記述がある。

 「第二次大戦後の常磐線 戦後の常磐線を観てみましょう。
 進駐してきたアメリカ軍が東北に進駐し、その東北を管轄するアメリカ軍は、兵士は常磐線経由の列車で、車両は中通りを経て仙台に向かいました。最初は6号国道を通る予定でしたが、その事前調査で6号線の余りのひどさに唖然として、急遽中通りに変更されたのです。仙台のキャンプ地は苦竹でした。
 敗戦国日本は、当然ですが占領下にあり、施政権は(GHQ General Head Quarter for the Supreme Commandar for the Allied Power)連合軍総司令部、最高総司令官は ダグラス・マッカサ-元帥がすべてを支配し、我が国の国名は、占領下の日本(Occupied Japan)。国鉄は当時鉄道省と呼ばれていましたが、占領とともに鉄道の支配権は全てがGHQの支配することになり、特に道路が悪すぎるため、兵士や貨物の輸送は鉄道が優先しましたから全ての運営権はGHQが握り、日本人職員はその命令に従うだけでした。 従って全てが進駐軍優先で、同じ編成の電車でも白い帯をしたのがガラ空きの進駐軍専用車、地獄のような超すし詰め車両が日本人専用車。 (食糧難で地方へ買い出しに出かけ 貨幣価値が信用できない時期、物々交換でした)。自分の身を剥いでゆく(衣類と食料を交換する)生活を筍生活と称していました。親たちは本当に苦労してきたのです。
 この占領下の我が国では様々な奇怪な事件が起こり、謎に包まれ、黒い霧事件として封印されたままです。」