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地方占領期調査報告

INVESTIGATION REPORT
地方占領期調査報告第27回
「青森県合浦公園」

地方占領期調査報告第27回「青森県合浦公園」

 今回は、「街グルメin青森」(2017年12月24日)から、「合浦公園からやってきた進駐軍のお話」を紹介します。このブログは、青森市飲食店が運営しています。

合浦公園からやってきた進駐軍のお話〜ギブミーチョコレート〜

 戦争が終わったら
 青森県に何と1万5000人の米軍などの進駐軍兵が上陸したんだそうです。
 青森市だけだと、2140人
 弘前には4822人、八戸が3200人、三沢は2675人、大湊に2500人
 これだけの進駐軍が青森県に上陸しております。
 数だけみてもビックリです。
 ちなみに全国では40.5万人の進駐軍が日本に来たそうで、東北地方に進駐した兵力の半分が本県にやって来ています。
 青森市の場合、終戦後占領政策を行う為、初めは海軍、次いで陸軍の進駐。陸奥湾より青森港、合浦公園、八重田の海岸地帯から上陸。
 進駐軍が上陸する前いろんな噂が流れたそうで、進駐軍に関する「情報」はどれも恐ろしいものばかりだったそうです。
 進駐してくるアメリカの部隊は
 フィリピンなどの最前線で戦ってきた猛者達で
 通称ワイルドキャッツ(山猫部隊)と言う部隊。何をしでかすかわかったものではない。
「疎開できるものは、他所に移ること。女は化粧もせず、モンペかズボンを着用すること」という回覧板が回り、一層不安を募らせ、青森市の街の通りには人の姿が見えなかったと言います。
 進駐後の米軍は、市が仮庁舎としていた公会堂(現在スポーツ会館)に拠点を置いて、旧五連隊兵舎に1000人、合浦公園にかまぼこ兵舎(かまぼこ型に宿舎)を立て200人、その他にも片岡、小館木材、油川飛行場、佃、沖館、県庁西側、公会堂前などにそれぞれかまぼこ兵舎を立て、そこに駐留したそうです。
 駐留した進駐軍ですが、既存の政治機構をつかって間接的に県を統治、食料などについては直接指導をおこなったそうです
 この占領軍による軍政はその後昭和27年まで7年間続いたそうです。
 終戦直後、日本の子供達が「ギブミー・チョコレート」と言って、アメリカの兵隊に群がっていくというものがあります。
 知り合いからも、チョコレートをもらった話は聞いた事があります。
 ところで、あのチョコレートの費用。実は日本政府の予算から出ていたものだということをみなさんはご存知でしょうか。
 終戦直後の日本は、当然財政的にも非常に厳しい環境下でしたが、米軍駐留経費は、
 1946年が国家予算の32%にあたる379億円、
 1947年も国家予算の31%にあたる641億円も占めていました。
 この中からチョコレートの費用も捻出されていたのです。
 日本の国家予算の約1/3が、アメリカ人たちのために使われていたのは知っておきたい事実。
 ところで、今でこそ市民の憩いの場となってる合浦公園ですが、米軍による接収後の部分的な返還を繰り返し、全面的な返還がされたのは、昭和29年の12月のことだそうで、米軍が進駐していたことにより、公園内の松や桜は枯れ、返還後の合浦公園は荒廃しており、海水は汚染して、今のような公園に戻す為、市による整備はその後10年にも及んだそうです。

街グルメ青森 記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)