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地方占領期調査報告

INVESTIGATION REPORT各地方自治体へのアンケート調査を報告します

 GHQクラブでは、2016年7月に、地方自治体(広報部門)を対象に、「占領期」(1945~52年、沖縄は72年まで)についてアンケート調査を行いました。また、2013年11月には数カ所に予備調査を行っています。調査結果は、それらをまとめて行います。
 それらの回答が一応、終了しましたので、その結果を、このGHQクラブホームページで順次、公表させていただきます。皆さまの「占領期研究」に資することが出来れば、幸いです。

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地方占領期調査報告(10)愛知県・三重県・滋賀県
 愛知県公文書館の回答――

  • 1.占領期の資料について
    ・愛知県の機関が発行した刊行物
    『愛知県史 資料編36 現代』愛知県史編さん委員会/編、2016年3月
    『愛知県議会史 第8巻/昭和13~22年3月』愛知県議会事務局/編、1971年
    『愛知県議会史 第9巻/昭和22年度~29年度』愛知県議会事務局/編、1981年
    ・当館所蔵の公文書
    『重要文書綴』渉外課、S28
    『雑件綴(重要)』渉外課、S27
    『受付文書綴』田口農林学校、S21
    ※当館所蔵資料の目録情報を検索した結果、」「GHQ」「連合国軍」等に関連する文書を含むと思われる資料です。
    2.郷土史家について
     上記、『愛知県史』の巻末に、協力者及び編さん関係者の名簿があります。ただし、連絡先等については記載されておりません。
    3.GHQのPRO指導やCIE映画の上映運動への対応などについて
     PRO指導及びナトコ映画等に関する資料については、当館所蔵資料の目録情報からは関連のものは見つかりませんでした。
     ただ昭和20年代に愛知県が作成した下記の映像資料をDVDの形態で所蔵しています。

    • 「愛知県政特集映画」昭和26年~昭和38年制作
    • 「愛知県ニュース映画」第5号~第7号 昭和26年制作
    • 「愛知県ニュース映画」第8号~第19号 昭和27年制作①
    • 「愛知県ニュース映画」第20号~第27号 昭和27年制作②

 

 三重県戦略企画部広聴広報課の回答――

  • 1.占領期に関する資料名について
     主要食糧の調達(GHQ/SCAP文書『Annex D to Mie military Government Team Activities Report, March 1947 』)
    ――これは、『三重県史 資料編 現代2』の「産業・経済」の111~113頁に所収。
     GHQ/SCAP文書(三重県関係)(三重県に関連するGHQ/SCAP文書の目録)
    ――『三重県史資料調査報告書』Ⅲの128-130頁に所収。
    2.郷土史家について
     とくにありません。
    3.CIE(ナトコ)関係
     回顧録「戦後五十年、ナトコ映画と私」森和夫氏著
    ――『三重県史研究』第11号122-125頁に所収。

 

 滋賀県県政史料室の回答――

  • 1.資料名について
     占領期の滋賀県を知る参考文献としましては、『滋賀県史 昭和編 第1巻から第6巻』(滋賀県、1974年~1985年)や『新修 大津市史 近代』(大津市、1982年)などがあります。機関としては大津市歴史博物館滋賀県立図書館もご協力いただけると思います。
     また、滋賀県では、現在、行政文書としてGHQ関係の資料154簿冊を所有しています。これらの行政文書は「歴史的文書」として一般の閲覧に供しており、ホームページ上においても文書件名の検索が可能です。
    (資料概要)

    【施設関係】 設営及び維持管理 15簿冊
    宿舎、兵舎工事等 17簿冊
    旧軍用施設 4簿冊
    要求書及び受領書 16簿冊
    【労務管理】 労務給与 36簿冊
    退職手当支給台帳等 11簿冊
    労務管理 22簿冊
    労務厚生 5 簿冊
    【その他】 連合軍関係、
    終戦処理等規定
    6 簿
    人事、土地補償、
    外務経理等
    14簿冊
    追録 8 簿冊
    合計154簿冊
    2.郷土史家について
     現在のところ、とくにこちらからご紹介できる研究者の方を存じておりません。
    3.GHQのPRO指導やCIE(ナトコ)映画の上映運動への対応、それから自らのPR映画の活動実態について
     滋賀県のPROへの対応は、1の回答で挙げた公開されている歴史的文書の中では、その詳細を示す具体的な資料は見当たりませんでした。
     一方、滋賀県史によれば、占領政策の一環として進められていたナトコ映画上映運動につきましては、当初は、映写機の入手が困難であったため、なかなか普及しませんでした。昭和23年8月12日には、ナトコ映写機12台が県に届いたので、大津と彦根で、この映写機による「映画技術講習会」を開き、65名の技術者が養成されます。この講習会はその後も引き続いて行われ、昭和24年まで、約1年間に340名の映画技術免許証所有者が養成されます。この免許証所有者によって、各地方事務所ごとに、視覚教育協議会を組織して、映画教育の運営が行われ、同年12月1日に、県立産業文化館地下の一室にフィルム・ライブラリーが開設されます。昭和24年4月には、ナトコ映写機14台と60本のフィルムを保有して、巡回映写などに活用されます。文部省からの通達の中に、映写機1台について少なくとも1ヵ月のべ20日以上、映画があるように、ということが課せられていたこともあって、各地方に映画が普及し、本県内では、月平均7万人が視ていた、とされます。さらに25年9月には、上映306回、観客者36万9168人、貸出フィルム1242本になった、とされています。(『滋賀県史 昭和編 第6巻』p696~697、p790 ~791 、滋賀県、1985年)
     ただ当方で調べましたところ、当時の映画そのものは、滋賀県立図書館や生涯学習課のメディアライブラリーなどにも現在は所蔵しておらず、本県が主体となってPR映画などを作成した事実なども、現在公開している歴史的文書の限りでは確認できませんでした。