コラム社史より 「あの時の世界とMHI(三菱重工)――社史」 Vol.67 小川 真理生さん | GHQ.club

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 Vol.67 小川 真理生さん

「あの時の世界とMHI(三菱重工)――社史」

COLUMN「あの時の世界とMHI(三菱重工)――社史」

VOL.67
小川 真理生さん

ここでは、「あの時の世界とMHI(三菱重工)――社史」にまつわるコラムを紹介します。
小川 真理生さん(GHQクラブ編集部)
第67回「あの時の世界とMHI(三菱重工)――社史」

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https://mhi.co.jp/discover/sustainable/text/retrace/history.html
 を検索すると、歴史の中にこそ、将来の道が隠されているとして、1945年から963年の「復興の時代」が記されています。そこには、以下の簡略な年表が掲載されていますので、MHIのあゆみ、主な国内・海外実績、当時の社会情勢について、要領よく理解できると思います。

 

復興の時代 1945~1963年(昭和20~昭和38年)
激動する国情と民需産業への転換
暮らしを支える産業製品の開発・生産に注力し、戦後日本の復興に貢献。

1945年(昭和20年)
MHIのあゆみ
第4代社長岩崎小彌太が病没。四代70有余年にわたる岩崎家による三菱の事業に終止符が打たれる。
主な国内・海外実績
終戦間もない10月には米軍の許可を得てトラクタを製作。昭和23年までに146台を生産。
当時の社会情勢
ドイツ、日本が無条件降伏し第2次世界大戦が終結し、国際平和の維持を目的に国際連合が設立される。

1946年(昭和21年)
MHIのあゆみ
連合国総司令部(GHQ)の財閥解体の方針により三菱本社が解散。
主な国内・海外実績
戦後、民需転換本格化のシンボルスクーター「シルバーピジョン」製作。
当時の社会情勢
ベトナムの独立をめぐりフランスとの間に第1次インドシナ戦争が勃発。

1947年(昭和22年)
MHIのあゆみ
本社に再建整備委員会を設置。
主な国内・海外実績
飛行機づくりの技術を応用したジュラルミン製自転車・十字号を製作。その他、鍋やスコップ、鋤なども製作。
当時の社会情勢
日本国憲法が施行。

1949年(昭和24年)
MHIのあゆみ
名古屋製作所を新設。
当時の社会情勢
湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞。
中華人民共和国成立。

1950年(昭和25年)
MHIのあゆみ
三菱重工が東日本重工株式会社、中日本重工株式会社、西日本重工株式会社の3社に分割される。
主な国内・海外実績
KE型エンジン生産1,000代突破。
当時の社会情勢
朝鮮戦争が勃発。日本に米軍の兵站司令部が置かれ、大量の物資の買い付けなどの特需ブームが始まり、国内の景気が回復。

1951年(昭和26年)
MHIのあゆみ
本社を東京都港区に移転。
長崎精機製作所を長崎造船所に統合。
当時の社会情勢
サンフランシスコ講和条約調印。
政府が財閥解体完了を発表、持株会社整理委員会解散。
この年、鉱工業生産指数が戦前水準を突破。

1952年(昭和27年)
MHIのあゆみ
東日本重工業が三菱日本重工業、中日本重工業が新三菱重工業、西日本重工業が三菱造船に社名を変更。
主な国内・海外実績
新三菱重工業が九州電力築上発電所向け放射型ボイラを製作。
当時の社会情勢
前年に調印したサンフランシスコ講和条約が発効し、占領が解かれ正式に国家としての全権を回復。

1953年(昭和28年)
主な国内・海外実績
当時世界最大級のタンカーSTANVAC JAPAN号を三菱造船が建造。
名古屋製作所岩塚工場で、日本初のパッケージエアコンDP5(水冷5馬力)を開発。
当時の社会情勢
NHKがテレビ放送を開始。また朝鮮戦争の休戦協定が結ばれる。

1954年(昭和29年)
主な国内・海外実績
ソフトクリームフリーザ第1号機完成。
日本初の500SHP舶用主機ガスタービン完成。
日本初の全軽合金製警備艇「あらかぜ」竣工。

1955年(昭和30年)
主な国内・海外実績
小型3輪トラック生産5万台突破。
戦後初の国産敷設艦「つがる」竣工。

1956年(昭和31年)
MHIのあゆみ
本社を東京都千代田区丸の内の三菱本館に移転。
名古屋航空機製作所を新設(名古屋製作所から分離・独立)。
主な国内・海外実績
戦後初の国産戦車、61式戦車を三菱日本重工業が開発・生産。
F-86Fジェツト戦闘機の初号機完成。
名古屋製作所でウィンド型ルームクーラー初号機が完成。
長崎造船所が単一製作所として年間進水量世界第一位となる。以後1964年(昭和39年)の三重工合併までに、昭和32、33、36年に世界第一位となる。
当時の社会情勢
日ソ国交回復、また国際連合に加盟するなど日本が国際社会の一員として認められるようになった。

1957年(昭和32年)
当時の社会情勢
ソビエト連邦が、世界初の人工衛星・スプートニク1号の打上げに成功。

1958年(昭和33年)
主な国内・海外実績
日本初の石油精製大型FCC用ターボブロア完成(昭和石油向け)。
名古屋航空機製作所でS-55ヘリコプタの国産初号機完成(防衛庁向け)。

1959年(昭和34年)
MHIのあゆみ
本社を東京都千代田区丸の内の旧ウ三菱ビルに移転。
伊勢湾台風により名古屋製作所および名古屋航空機製作所のい大江工場に甚大な被害をうける。
主な国内・海外実績
三菱ふそうT380型トラックを三菱日本重工業が生産。
スクーター生産35万台突破。
メイキエンジン生産50万台達成。
当時の社会情勢
皇太子・明仁親王(当時)が民間出身の正田美智子さんとご結婚。

1961年(昭和36年)
主な国内・海外実績
国産初の油圧ショベル、三菱ユンボパワーショベルY35を新三菱重工が製造。
中型4輪トラックジュピター生産累計1万台突破。
当時の社会情勢
人類初の有人衛星、ソ連宇宙船ボストーク1号が、ユーリイ・ガガーリン飛行士を乗せ地球一周に成功。

1962年(昭和37年)
主な国内・海外実績
世界初の大型冷凍式LPG運搬船であるブリヂストン液化ガス向けブリヂストン丸竣工(日本郵船向け)。
戦後初の潜水艦はやしお竣工(防衛庁向け)。
軽4輪自動車三菱ミニカ発売。
三原製作所で小型オフセット枚葉印刷機スーパービジュの初号機完成。
当時の社会情勢
堀江謙一青年が小型ヨットで太平洋単独横断に成功。

1963年(昭和38年)
MHIのあゆみ
三菱重合併契約書に調印。公正取引委員会で三菱重工合併につき公聴会を開催。
主な国内・海外実績
自社開発の双発ターボプロップ MU-2小型多用途機が初飛行に成功。
三菱DB型高速ディーゼルエンジン生産5万台突破。
三菱コルト1000発売。
科学技術庁の液体ロケットLS-A型が新島で打ち上げに成功。
当時の社会情勢
アメリカ合衆国のケネディ大統領が遊説先のテキサス州ダラスで暗殺される。

 

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プロフィール:小川 真理生(おがわ・まりお)
略歴:1949年生まれ。
汎世書房代表。日本広報学会会員。『同時代批評』同人。
企画グループ日暮会メンバー