HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-61 Vol.61 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-61
- VOL.61
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-61
犯人が安田銀行荏原支店に残していった「松井名刺」であるが、犯人が三菱銀行中井支店に残していった「山口名刺」もそうだが、指紋とか検出しなかったのか(当然、やったが検出できなかったのであろう)。犯人がどうやって名刺を相手の銀行員に渡したのかの詳しい報告がないが、名刺だから当然 素手で渡したであろう。指紋が付かないように手袋などして渡したら怪しまれるだけである。しかし、そこから犯人のものと思われる指紋は検出されなかった。
でも、これだけDNA鑑定が進歩している現代であれば、検察庁に保存されている犯行に使われた名刺の残されたシミとかから犯人のDNAが検出できないものか。今後、新たな再審請求では帝銀の犯行で使われた湯のみ茶碗にこびりついたカスから毒物の特定をしようなどという案が第20次再審請求弁護団から提案されていることは知らされている。同時にこの名刺に関しても数少ない証拠物件なので何らかのアプローチをする価値はあろうかと、わたしは考えている。
とにかく、当時の証拠品に関しては、管理が杜撰すぎてお話にならない。たとえば、帝銀椎名町支店の犯行現場であるが、多くの被害者が現場で同時にあちこちで苦しんでいて、当初は毒殺の犯行現場だとは誰も思ってなく、食中毒かなにかで一刻も猶予ないとばかりに、通りかかった一般人が現場で救助活動をしていたと聞く。そのとき誰かが机の上に置いてあった小切手をくすねて翌日、安田銀行板橋支店に換金に行ったのではないか。ありえない話ではないのである。
あの「松井名刺」に関しても、あの時点では誰も死んでないし、犯罪を企図したものだとしても間抜けな犯人像しか浮かんで来ない。よって、証拠品を実にいい加減に扱っていた。押収した「松井名刺」に荏原署の担当が鉛筆でメモ書きした形跡があるのである。しかも、帝銀事件のあとで、これは大変重要な証拠品だと気づき、鉛筆のあとを警官が消したものと思われるのだ。こうなったら指紋だって色んな人間のものが付着しているだろうし、証拠品としての価値はゼロといっても間違いはない。平沢は松井と名刺交換したとき、相手に関する情報を名刺の上に万年筆で書いて残していたと供述している。くだんの「松井名刺」に消しゴムで消したあとがあるものだから、すわ、それが平沢犯行説の証拠であるみたいな見方が当時されたらしいが、実はそれは荏原署の警察官が管理の杜撰さをごまかすためにやったことで、そもそも万年筆の文字が簡単に消しゴムなどで消せるわけがないではないか。
さらにこの犯行に使われた名刺に関して思うのは、帝銀椎名町支店で支店長代理に渡された名刺が犯人が持ち去ったとは言え、勿論、名前が「松井茂」であろうはずはないにしても名前の部分が「山口二郎」だったか違ったのかくらいは記憶にあるのではないのか。しかし、吉田支店長代理はまったく記憶になく、捜査の過程でもまったく不明となっている。
すべてが同一犯として、一週間前に近くの三菱銀行中井支店で使った「山口二郎」名刺を、いくらあと99枚手元にあったとしても警察に情報が流れているだろうから犯人は別の名刺を使ったのだろうと推測はつくのだが。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など