占領軍によって日本人に有名になったものの一つに、コカ・コーラがあります。そのコカ・コーラビジネスが日本でどう展開されたのかの歴史について、2017年に創立60周年を迎えた日本コカ・コーラ株式会社は、ネットで連載をスタートさせました。
以下、第1回「コカ・コーラ」の日本上陸、を紹介します。
イラスト=宮内大樹
「コカ・コーラ」は、大正時代にはすでに日本でも販売されていました。
1914年(大正3年)に詩人の高村光太郎が発表した詩集『道程』に収められている「狂者の詩」や、
1919年(大正8年)に明治屋が発行したPR誌『嗜好』に掲載されている宣伝文や、
1925年(大正14年)に作家の芥川龍之介がしたためた手紙の一節から
一部の都会人の間で「コカ・コーラ」が飲まれていたことがうかがい知れます。
……とは言っても、庶民にとって「コカ・コーラ」はまだまだ贅沢品でした。
その後、一旦姿を消し、再び日本に登場するのは戦後に入ってからのこと……。
終戦からひと月が経ったころ、世界各地で「コカ・コーラ」ビジネスを展開していた、ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーション(*1)の代表者が来日します。
*1 ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)の100%子会社として1930年に発足した、コカ・コーラ社の海外部門。
ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションは驚くべきスピードで開業準備を進め、1945年(昭和20年)10月には、横浜に日本支社が発足しました。
そして1946年(昭和21年)から52年(昭和27年)にかけてのわずか7年のうちに、国内6ヵ所にボトリング工場(*2)が次々と設置され、「コカ・コーラ」が日本国内で生産できるようになります。
*2 「コカ・コーラ」の瓶詰めを行う工場。
国内生産された「コカ・コーラ」は、進駐軍(第二次世界大戦後、日本に進駐した連合国軍)関係者に提供されていました。
とは言っても、これは一般の日本人はあまり知らないこと……。
次回は、「コカ・コーラ」がどのようにして日本の一般消費者向けに販売されるようになったのかを、描いていきます。
(つづく)
*つづきはこちら 第2回 日本の消費者と「コカ・コーラ」の出会い 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり 第4回 事業を発展させた技術革新と営業活動 第5回 コカ・コーラ社と1964年東京オリンピック 第6回「コカ・コーラ」の広告ヒストリー 第7回 コカ・コーラ社製品の多様化 その1 第8回 コカ・コーラ社製品の多様化 その2 第9回 自動販売機の進化史 第10回 コカ・コーラ社の地域貢献活動 *企業年表はこちら