HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-57 Vol.57 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-57
- VOL.57
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-57
そもそも捜査線上に画家である平沢貞通の名前が浮上したのは所謂「松井名刺」からである。
昭和23年1月26日に帝銀事件は発生している。しかし、その前に帝銀の予行演習だったか単なる未遂・失敗だったかは謎といわれているが、帝銀事件とまったく同じことが、つまり、保健所の職員を騙って銀行員に予防薬と称して薬を飲ませるという出来事が東京都内の二つの銀行で行われていたのである。どちらも死者が出ていなかったことから世間で話題にもならず、忘れられようとしていたのだが。
……一件は、帝銀のちょうど一週間前の1月19日。場所は帝銀椎名町支店からもそう遠くない下落合にある三菱銀行中井支店である。犯人はこのとき、「厚生技官 山口二郎」という名刺を残していっている。この名刺はいつどこで刷られたものかはすぐに判明した。なんと、犯人が犯行に使用する二日前の昭和23年1月17日に犯人自らが銀座8丁目の露天印刷所(店主・斉藤安司)で、100枚75円で注文したものだったのだ。翌18日の午前中に注文した本人が出来上がった名刺を受け取りに来ている。犯人は名刺が出来上がった翌日に、まるで名刺ができるのを待っていたかのように犯行に及んでいる。なぜ、犯人はこんなにも新しい名刺を必要としたのか。そして、明らかに犯人は「厚生技官」「医学博士」と刷られた名刺が効果的であることを知っていた。それはなぜ、なのか。そして、わたしは犯人が名刺を注文した〝銀座〟にもある思いがある。
もう一件は、前年の昭和22年10月14日に発生している。このときは品川区の平塚にある安田銀行荏原支店。このとき犯人が残したのが巷間、「松井名刺」と呼ばれ、帝銀事件の犯人の要件として最重要ポイントとみなされる、実質的な犯人につながる証拠ともなっているものである。
それと平沢とがどうつながるのか。これがまた、不思議なエピソードに彩られていて非常に興味深い。その「松井名刺」というのは、仙台在住の実在の厚生技官で医学博士の松井茂の名刺であったのだ。ひとりの人間が生涯にどれだけの人と名刺を交換するのか。おそらく膨大な数に及ぶはずだ。わたしも仕事柄、取材先などでかなりの数の人と名刺を交換していて、その交換した相手の名刺が捨てるに捨てられず名刺入れに膨大に溜まっている。しかし、犯人が安田銀行荏原支店に残していった「松井名刺」はその印刷の特徴から昭和22年の3月25日に松井本人が部下の事務官(星庄治)に依頼して宮城県庁地下の名刺屋に作らせた100枚のうちの1枚であることが判明した。この100枚には、「茂」という漢字に特徴があって、そのものずばりの印字がなかったことから特別に草冠の下に「尉」という字をくっつけて印刷してあって、間違いなく、そのときの一枚であることが判明したのだ。帝銀事件直前までに100枚のうち6枚を残して94枚を松井は使っていた。松井の手元にはその名刺で交換した相手の名刺が残されている。それを一枚一枚、身元を辿って行けば真犯人にたどり着く。その名刺捜査班によって名前が浮上したのが、つまり、松井と名刺交換した相手のひとりが誰あろう! 高名な画家の平沢貞通であったのだ。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など