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「清水建設百七十年」その2

COLUMN「清水建設百七十年」その2

VOL.48
小川 真理生さん

ここでは、「清水建設百七十年」にまつわるコラムを紹介します。
小川 真理生さん(フリー編集者)
第48回「清水建設百七十年」その2

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 つづいて「第二章 社業再開(昭和二〇~二二年)を見ていきます。

 

一 進駐軍工事の急増
 二〇年九月、連合国軍進駐と同時に開始された進駐軍関係工事は、二一年から二二年にかけて急増し、建設業界に活況をもたらした。当社は次の諸工事を受注し工事量は急増した。

二〇年九月
農林中央金庫、聖路加病院、軍人会館、日比谷公会堂、第一生命ビル、伊勢丹、外苑競技場および日本青年会館、マツダビル改修
  一〇月
第一ホテル改修
  一二月
東京会館補修
二一年一月
羽田飛行場補修、北海道千歳基地設営
   四月
立川兵舎改修
   六月
東京代々木家族宿舎新築

 これらの主要工事は当時としては規模も大きく、しかも急を要するものであり、一面において種々の困難はあったが、建設業本来の業務を軌道に乗せるものであった。終戦直後の二一年三月期は工事量の激減と、引き揚げ・復員に伴う社員の増大、経費の膨張など経営は困難に直面したが、二一年度は主要なものだけでも神戸キャンプ新設、旧伏見連隊増改築、大津進駐軍宿舎新設、千歳基地設営、日光レークサイドホテル改修など多くの進駐軍関係工事を竣工し、戦災復旧工事、その他の工事を相当量施工した。

二 社内態勢の整備
 深川木工所の復旧

 本社業務は終戦後いち早く室町本社に復帰することができたが、都内の深川木工所および砂町機械倉庫は二〇年三月一〇日の空襲によって焼失したままであった。そこで、まずこれら施設の復旧を急ぐことになり、また、政府も戦後の復興建設のため木材・製材の自由企業を認める方針を決定したので、二〇年一一月再建に着手し、二一年九月五日、各種の製材設備を整備して深川木工所の操業を再開した。

 支店・出張所の整備
 二〇年一〇月、京都支店を廃止して大阪支店京都営業所に改める一方、仙台に東京支店所管の仙台出張所を開設したが、翌二一年四月には仙台出張所を支店に昇格し、東北六県を管轄する支店として陣容を整えることにした。
 次いで七月、名古屋支店傘下の金沢出張所を支店に昇格して北陸支店と改称し、金沢を中心に福井・石川・富山・新潟の四県下の工事に当たらせ、同じく高松出張所を四国支店と改称し、四国四県下の工事を担当させた。

 本社機構の改正
 戦時中、地方駐在役員の独立した活動を容易にするため、統理制を採用して西日本統理および東海統理を設置したが、二〇年一〇月二〇日、右の統理制を廃止して関西常務室を復活すると共に、海野常務が関東常務として東京・名古屋・仙台・北海道の四支店を統轄し、富永常務が大阪・広島・九州の三支店と後に新設された北陸・四国の二支店を統括した。
 次いで二一年二月一二日、本社機構(検査・営業・経理・業務・建築・土木・設計の各部)を次のとおり改正した。
 社長室 秘書・企画・渉外・監査の各課
 総務部 庶務・人事・指導・厚生・監理課
 経理部 経理・会計・不動産課
 工務部 建築・土木・機械・資材・労政・統計課
 設計部 第一・第二・第三設計課・第一・第二設備課
 研究室
 右の機構改正のねらいは、戦時中、各支店が独立の活動を行なっていたのを常態に復して資金・資材・機械・労務などの偏在を改め、本社を中心にして統一的に経営の合理化・能率化を図ることにあった。
 しかも、その後の工事量の増大に伴い、工務部の建築・土木・機械の三課は間もなく同年一一月に独立して部にしたので、結局、機構改正前の建築・土木・設計の三部に機械部が加わる形となった。機械部新設の要点は、それまで各支店の管理下に置かれていた施工用機械類をすべて本社機械部の管理下に移したことにあり、本社において総合的、機動的に管理・運用するのがそのねらいであった。もっとも、その当時は交通、運輸事情の悪化していたときであり、完全な中央管理の実施は事実上、不可能であったが、まず制度的に一元化の態勢を整えたものである。
 また、社長室の渉外課を独立して渉外部を新設したのは二一年一二月、連合国軍の賠償施設の一部撤去開始方針に即応して、東京支店工務部に賠償施設課を新設したのは二二年六月であった。工務部は二二年八月に廃止し、資材関係業務は建築部工務課、労政業務は総務課、統計業務は社長室へそれぞれ移管した。

 社内の綱紀刷新
 二一年二月の機構改正により総務部に設けられた指導課は、社員の実力培養と指導を主眼として、現場主任必携の刊行、研究会の開催などの業務を行なった。また精神革新運動として二一年七月一日から七日まで明朗精励を課題とした実行週間を本支店の全職場ごとに実施し十分な成果を収めた。
 さらに、社内の綱紀を刷新し道義を高揚して会社の信用を高める目的で、二二年六月、本支店に綱紀刷新委員会を設け、社則の遵守・機構の運営、金銭・資材の取り扱い、経費の節減などに関し社員の積極的参加を求めた。

 清水組織員組合の結成
 二〇年一〇月一一日、GHQが日本民主化の五大改革を指令し労働組合の結成を奨励したのを契機として、その後、全国の工場・事業場において労働組合を結成する動きが活発になってきた。
 当社においては二一年二月二四日、東京本社講堂で清水組織員組合の結成大会が開かれ、初代理事長に東京支店横浜出張所長村上俊蔵、副理事長に大阪支店藤本賢太郎・東京支店横山金三の両名が選出された。次いで三月一七日に大阪支部の結成をみたあと、東京、名古屋その他の各支部が結成された。
 当時、社員の生活はインフレの高進と食糧難に悩まされていたので、労使の話合いはまず待遇改善に集中したが、当社は六月二〇日、インフレによる不安を打開する一助として新たに危機突破手当を支給することにした。

 役員の異動
 終戦直前の二〇年七月一〇日、当社は軍需充足会社の指定を受けたが、戦後まもなく八月一五日づけで軍需充足会社の指定を解除され、まず、取締役清水康雄・清水正雄・小笹徳蔵・小林義一の四名がそれぞれ代表取締役に復帰した。
 二〇年一〇月、監査役八木憲一が辞任し、次いで二一年三月、通信建設工業の設立に際し、同社専務に就任のため常務飯高達夫が常務を辞任(一〇月、取締役を辞任)し、五月には取締役矢田茂が退任、監査役太田稔が退任して日本道路舗装専務に就任、一一月には専務小林義一が退任して顧問となり、新たに建築部長黒岩正夫・九州支店長西村秀雄・東京支店次長深沢勝久の三名が取締役に就任、取締役大阪支店長鈴木一幸が常務に選任された。また一一月、関東・関西両常務室の廃止とともに関西駐在常務富永長治は本社に復帰して小笹専務を補佐することになった。
 この間、二一年三月、戦時建設団の解散により副団長清水揚之助が顧問として復帰した。同年一〇月一六日には常務海野浩太郎が死去した。これに対し当社は社葬をもって永年にわたる功績に報いたが、さらに常務の砧村建設の労を記念するため社員住宅内の運動場は「海野広場」と命名された。
 その後二二年二月、故渋沢栄一の親戚に当たる元帝国銀行会長明石照男を相談役に迎えると共に、元フランス駐在大使三谷隆信を顧問に迎え、同年一一月の総会では定款を変更して取締役一二名以内を一五名以内に改め、新たに名古屋支店長吉川清一・広島支店長久良知丑二郎の両名が取締役に、小林隆徳・桜井博・西川幡之助が監査役に就任した。なお二二年六月には谷井陽之助が常務に昇格し、土木と関連会社を担当することになった。

三 在外資産の喪失と戦時補償打ち切りの影響
 進駐軍工事の急増に活路を見いだした反面、戦後の会社再建の重荷となったのは戦時補償の打ち切りであった。
 二〇年一一月二五日、GHQが軍需補償金の凍結を指令してから後、戦時補償打ち切りに至るまでにはいろいろ経緯があったが、二一年八月一五日、打ち切りによる企業の混乱を防止するため政府は会社経理応急措置法を公布して、戦時補償の打ち切り、在外資産の喪失により赤字を生ずる資本金二〇万円以上の会社を特別経理会社に指定し、次いで一〇月一九日、戦時補償特別措置法および企業再建整備法・金融機関再建整備法を公布して戦時補償の打ち切りとその後の企業再建の手続きを規定した。
 当社は内地においては生産力拡充・陸海軍関係工事の施工に当たり、また広く外地に進出し朝鮮・満州・北中南支・南方の各地域で軍関係工事に従事していたので、その影響は深刻であった。終戦時の在外資産勘定は約一六〇〇万円、戦災保険金の受取高は四三〇〇万円にのぼり、その他工事未収金を加えると当時の資本金一二〇〇万円に対し、予想される損失はその六倍にも達したのである。
 このため当社は特別経理会社の指定を受け、八月一〇日の指定日をもって会社経理を新旧両勘定に分離し、営業活動の継続に必要な資産を新勘定に移すとともに、八月二四日、会社指名代表者として社長清水康雄、旧債権者指名代表者として帝国銀行会社万代順四郎(一二月、社長佐藤喜一郎、同代理人西園寺実に変更)が当社特別管理人に就任し、新旧勘定の管理と企業再建整備計画の立案に当たることになった。
 結局、この措置のため当社はその後の二年間に約六三〇〇万円の戦時補償特別税を納付することになり、資金繰りに頭を痛めねばならなかった。
(第二章はここで終わり、次回の第三章につづく)

 

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プロフィール:小川 真理生(おがわ・まりお)
略歴:1949年生まれ。
汎世書房代表。日本広報学会会員。『同時代批評』同人。
企画グループ日暮会メンバー