コラム社史より 「セーラー万年筆」 Vol.42 小川 真理生さん | GHQ.club

GHQ CLUB. あの日あなたは何をしていましたか? あなたにとってGHQとは?

HOME > コラム > コラム社史より 「セーラー万年筆」 Vol.42 小川 真理生さん

「セーラー万年筆」

COLUMN「セーラー万年筆」

VOL.42
小川 真理生さん

ここでは、「セーラー万年筆」にまつわるコラムを紹介します。
小川 真理生さん(フリー編集者)
第42回「セーラー万年筆」

article

 今回は、占領期に日本ではじめてボール・ポイント・ペンを発売した「セーラー万年筆」の歴史について、ネットに公開されているので、それを紹介する。

 

“セーラー万年筆 |公式ウェブサイト http://www.sailor.co.jp/100years より”

創業者・阪田久五郎の「ときめき」を原点に。

 セーラー万年筆の歴史は創業者・阪田久五郎と万年筆との出会いから始まりました。


  • 1925年 呉市浜田町工場全景図と阪田久五郎所主

  • 1911年 創業当時のペン工場(手動式ペンローラー)。
    当時はまだモーターがないので手回しであった。

万年筆というものを生まれて初めて見た時の心のときめきは、
言葉で言い表せないほどだった。

 日露戦争後、友人が英国留学土産にくれた万年筆に激しい衝撃を受けた久五郎は、後に『万年筆というものを生まれて初めて見た時の心のときめきは、言葉で言い表せないほどだった』と語っています。この出会いが原点となり、1911年(明治44)広島県呉市に阪田製作所を創業、万年筆に生涯を捧げることになりました。
 当時の日本では未開発の分野だった万年筆製造にいち早く着手し、日本で初めて純国産の14金ペン先を生産します。1948年には、プラスチック射出成型で量産する日本最初の万年筆を、さらに58年には他社に先駆けカートリッジ万年筆を発売するなど、市場の最先端を常に切り拓いてきました。
 この開拓者精神とチャレンジスピリットは、万年筆を始めとするステーショナリー全般を幅広く展開する今も変わりません。時代が進化しても、いつまでも創業者阪田久五郎の「ときめき」を原点に、セーラー万年筆は、文具マーケットの未来を創り続け、挑み続けます。

 

「セーラー」社名の由来

 軍港都市・呉にあり、将来は自らの製品を船によって輸出し、海外に覇を唱えたいという念願と、ひとりの提督より多くの「水兵(セーラー)」が大切だという民主主義的思想を盛り込んで商標を「セーラー」と命名し、錨(いかり)に水兵がまたがっている図柄を作りました。(「故 阪田久五郎翁略傳」1961年 より)

 

当社が開発した“国産初”

■純国産金ペン万年筆

写真は大正9〜10年頃の万年筆。
当時はまだプラスチックの成型技術がなかったため、軸にはエボナイトを使用している。

■プラスチック射出成型機で量産された万年筆

1949年 当時の価格で250円。この時を境に日本の万年筆は量産体制時代に入る。

■ボール・ポイント・ペン

1948年2月9日 業界のトップを切り、国産初のボールペンとして発売された「セーラー・ボール・ポイント・ペン」。当時の価格で300円。都内の百貨店で用意した500本が瞬く間に売りつくされ、ブームの火付け役となった。

■ふでペン

1972年 当時の価格で100円。翌年の年賀状シーズンには300万本を完売する大ヒットとなる。生産が間に合わずテレビCMを中止した地区もあったほど。

 

img_column_writer01
プロフィール:小川 真理生(おがわ・まりお)
略歴:1949年生まれ。
汎世書房代表。日本広報学会会員。『同時代批評』同人。
企画グループ日暮会メンバー