HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-26 Vol.26 原渕 勝仁さん
GHQ
MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-26
- VOL.26
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
article
オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-26
帝銀事件の真実を知るロッジの支配人・誠一は証拠隠滅のために殺された。なぜ、誠一が歯科医Oに殺されなければならないのか。その納得のいく理由が解明できない以上は、やはり、佐伯省ことIさんの主張は単なる推理でしかない。
誠一は帝銀事件のいったい何を知っていたのか。歯科医Oと進駐軍との関係。平沢貞通と歯科医Oとの関係。しかし、それらが事実として証明されたとしても、帝銀事件の真実を解明したことにはならない。歯科医Oが真犯人だとして、彼が特務機関員で、登戸研究所が開発した遅効性の特殊な毒薬を手に入れることができて、なおかつ、七三一部隊との具体的な関係があることまで証明しないかぎり、それは一歩も前には進んでいないと、わたしは考えている。
Mさんは、歯科医Oが帝銀事件当日のアリバイがあることに関して、当日(昭和23年1月26日)、Oが土樽の自宅もしくは、岩原ロッジにいたとして、アリバイを崩すことが可能であると、こんな話をしてくれた。
それは上越本線には存在しない駅がロッジにはあって、そこには一般の時刻表には載っていない進駐軍の列車が頻繁に岩原と都心を行き来していたという知られざる真実である。それを使えば、3時から4時にかけて椎名町で犯行を行っても、その日のうちに充分、土樽の自宅に帰って来られるというのである。確かにこの話も推理小説の一場面としては限りなく面白い。しかし、やはり、歯科医Oの本当の真実の姿にまで行き着かない以上、佐伯省ことIさんの主張も、このMさんの証言もわたしには決定打にはならなかった。
この日は、予約していた湯沢グランドホテルに一泊。翌朝、歯科医Oの湯沢での足跡を求め、車で街を巡った。驚いたことに歯科医Oは、この地では画家として有名で、各所に足跡を残していた。
歯科医Oの絵を持っているとの情報からある理髪店を訪ねると、いま、絵はないのだがOのことはよく知っていると。Oの本名の姓の部分を○○先生、と、さもいまも付き合いがある親しい人物といった感じで呼んでいたのが非常に興味深く感じられた。
そして、極めつきは、湯沢温泉でもっとも有名な高半旅館を訪問したおりのことだ。この高半旅館はあの川端康成が小説『雪国』を執筆した由緒正しい有名な旅館で、それを記念して旅館のロビーに川端康成の資料館が作られていたのである。わたしはせっかく訪れたのだからと思い、その資料館を見ていてそこにあるものを発見したのである。
なんと、資料館の一角に日本水彩画家の重鎮・石井伯亭の資料が展示されていたのである。石井は歯科医Oにとって師匠にあたる人物である。そして、高半旅館の関係者にお話を伺うと、なんと、歯科医Oの水彩画がこの旅館にあると。いま、その現物をお見せすることはできないが、後日、写真をお送りしますよと。後日、しっかりと歯科医Oのサインの入った清津峡を描いた風景画と高半旅館の当時の大女将を描いた肖像画の二枚の写真がオルタス・ジャパンに郵送で送られてきていた。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など