HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-25 Vol.25 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-25
- VOL.25
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-25
佐伯省の『疑惑α』の中で、「西原晴市」という名前で登場するMさんは、これまでの人たちとはまるで違っていて、われわれが訪れたことの思惑や意図をすべてわかった上で、自宅に上げてくれた。ことは殺人事件の犯人についての話である。もし間違っていたらこのMさん自身がこの地にいられないくらい窮地に追い込まれるような危険な話である。しかし、Mさんはあっけないほど、わたしが知りたかった事実をかなりの確信に満ちた言葉で証言してくれたのである。
事件当時、ロッジでは最年少の給仕だったというMさんも、聞くと昭和6年生まれであるという。先ほどの高橋六三さんより1つ年上。この年の2011年には80歳になろうという高齢である。自動車道路に面したけっしてきれいとは言えない民宿を奥さんと営んでいるが、そこは古いみすぼらしい住宅をそのまま宿泊施設に使っているといった感じで、生活もいたって慎ましやかなように見受けられた。
Mさんによると、ロッジにはちゃんとした保健室があって、ブラウンという医師が常駐していた。その保健室、衛生室で歯科医のOが歯の治療をしていたというのだ。よほどの信頼関係なり、なんらかの利害関係がないと、歯の治療でロッジの保健室を使わせてもらうことなど出来ないと思うが、歯科医のOはロッジの進駐軍に覚えがめでたかったことになる。
そもそも歯科医Oがこの地に現れたのは昭和20年8月。まさに終戦のその時である。それはどこからやって来たのか。どういった経緯からかも不明である。新潟県南魚沼郡土樽村のあるお宅に疎開している。そして、「稲本旅館」を根城にして歯の治療を行っていた。また、求めに応じて湯沢町などにも出張歯科医として巡回しながら歯の治療をしていたというのだ。終戦当時でもあるし田舎でもあるこの地で、さぞ重宝がられたことであろうことが想像される。そして、いつしか進駐軍との関係もよくして、ロッジに出入りするようになった。
給仕だったMさんは、その保健室にも何度も入っている。そこには日本ではまず見かけないような医療器具が揃っていたそうだ。これは予断というか推測の域を出ないが、帝銀事件で犯人が使った本格的な医療用の駒込形ピペットも確かにそこにあったとMさんはわれわれに証言してくれた。
また、当時、湯沢駅前に「西陣」という旅館があって、そこでロッジの支配人の誠一と平沢貞通が会っていたとの証言も飛び出した。なんと、この旅館に平沢は滞在して、ロッジの隊長である進駐軍の将官の求めに応じて、虎の絵を描いていたというのである。ここからは推測であるが、平沢は帝銀事件のあと、大金を手にしていたことからそれはどこから得た金か追求されて、「平井の清水虎之助」からもらったものだと供述。しかし、警察がどれだけ調べてもその人物を見つけ出すことができなかった。その「平井の清水虎之助」とは、誠一もしくは、その兄弟のことではないか。
さらに平沢は東京銀行のチェーン預金に「林輝一」の偽名を使っているが、ロッジの支配人の誠一のことを平沢は「林誠一」と呼んでいたことから誠一の存在が帝銀事件の大きな鍵を握っており、ご記憶の通り、誠一は帝銀事件の6年後に謎の「轢死」を遂げているのである。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など