HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-20 Vol.20 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-20
- VOL.20
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-20
近所の歯科医に治療と称して毒を盛られていた。そんなバカなことを。それは、あんた何かの思い違いでしょうが、と、聞いた人は笑い飛ばすような、文字通り〝被害妄想〟の典型のような話である。
しかし、聞くと、本当に歯の詰め物のなかに砒素が盛られていた。当初はIさんも半信半疑であったという。確認するために知人の東大医学部公衆衛生教室の野川助教授に検査してもらうと、砒素水素、アルシンの中毒症状であると診断された。
それを受けて、当然、Iさんは歯科医Oに対して、なぜ、自分に毒を持ったのかを問い詰めた。歯科医Oは、それは治療薬の○○であるとか、専門用語を使って、言い訳を繰り返したのだそうである。
まさにこの体験によって、Iさんは歯科医Oが帝銀事件の真犯人であると確信を持つのである。それは直感といっていい。しかし。Iさんはそれを証明するために結果的に一生をかけて追いかけて、そして死んだことになる。資産家の家に生まれ、理解ある妻や子どもに恵まれて、時間と金は充分にある。一時は、有名な探偵事務所に依頼してまで、歯科医Oの素性を調べまくったのだそうだ。
事情を知らない他人からすると、その姿は異常に見えたらしく、精神科の医師よって昭和34年3月には、相模湖湖畔にある精神病院に強制的に入れられたこともあったそうだ。その年の9月、当時、高校生だった長男が助けに来てくれて、助かったといった話が彼の著書には書かれていて、それはミステリー小説を読むくらい面白い読み物になっている。
その調査によって、歯科医のOが帝国高等歯科医専卒で、日本高等歯科医科学校に研究員として勤めていて高田某教授の下で助手をしていたが、教授と喧嘩をして大学を突然辞めたことが判明している。それが昭和12年か13年のこと。
こじつけと思われるのを覚悟で、まさにその年のあたりに陸軍が特務機関員を養成する機関を皇居近くのある施設のなかに作っている。それが中野の地に移転して、陸軍中野学校になるわけであるが。
昭和14年に牛込某所に診療所を出していたことがあったらしいが、戦時中のOの足跡がほぼ不明で辿れない。特務機関員となって、活動していたのなら足跡を辿れないのも当然のことであろう。やっと戦後になってから新潟県湯沢町に疎開していたことが判明していて、かの地で出張歯医者の仕事をしている。旅館に泊まり込んで、周辺の町や村を回って、歯の治療をしていた。なんと、そこには進駐軍の施設などもあって、歯科医のOはその米軍施設にも出入りしていた。そして、そのGHQ関連施設に平沢貞通も愛人の鎌田りよを連れて、訪れていたとの証言まで、Iは取るのである。
しかし、Iさんの話、また、『疑惑α』のなかに書かれていることをそのまま鵜呑みにしていいわけはない。どうしても、わたしはIさんの話を自分がじかに調べて、確信をもちたいと考えるようになった。
そこで、オルタス・ジャパンに所属したのを機に会社の仕事としてこの調査に取りかかるのである。わたしはIさんの『疑惑α』に登場する場所に行って、独自に調査を進めた。まずは、歯科医Oが開業していた小田急線沿線の、いまは高級住宅街になっているある町に向かった。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など