HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-15 Vol.15 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-15
- VOL.15
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-15
なぜ、いま、自分がテレビ番組を作る仕事をしているのか。大学に入った当初は、法学部を選んだこともあって、司法試験をめざして将来は弁護士になる夢をえがいたりしていた。しかし、それも2年生くらいまでで、すぐ挫折した。諦めたというよりも、法律の勉強にほとんど興味がわかなかった。それよりももっと面白いことが世の中にはあって、将来にはもっと大きな夢や希望があるように感じていた。
漠然とだが、この頃から将来、マスコミの世界に進むことを考えていた。そのためには何をしていいかわからなかったし、周りに相談する人もいなかった。いまなら金を貯めて、世界に放浪の旅にでも出て箔をつけることを考えたかもしれないが、当時はとにかく、本を読み、意識して上質な映画を観ることで自分を高めていた。たまには小説も読むが、とにかく、現実の世界を描いたノンフィクションを徹底的に読破して行った。
ちょうど落合信彦の『2039年の真実』が集英社で文庫化され、ケネディ暗殺の謎に夢中になっていたこともあって、同じようにさまざまな現代史の謎に興味が向かった。三好徹の『三億円事件の謎』や伊佐千尋の『検死一モンローのヘア』もその頃、読んだ。本田靖春の『誘拐』『私戦』とか沢木耕太郎の『テロルの決算』など。そして、やっぱり、松本清張に行き着いた。『点と線』や『ゼロの焦点』といった推理小説で知られる作家であるが、〝昭和史〟という概念を、ジャンルを、わたしに徹底的に植え付けてくれた作家は松本清張であったし、その延長線上に『人間の証明』『高層の死角』の森村誠一がいて、あの『悪魔の飽食』となるわけだ。その共同執筆者である下里正樹氏とのちに出会うわけだが、いま思うと、大学時代の読書体験がいまの自分を形作っているし、そのときから、すでにレールは敷かれていたことになる。
マスコミということで、当然、就職活動では、テレビ局とか新聞社、出版社を狙っていた。最終的にある小さな映像制作会社に就職したが、そこでも読書が生活の大半を占めていた。そして、来る日も、来る日も、ドキュメンタリー番組の企画書を書き続けていた。なぜか、その制作会社では企画は一つとして成立しなかったが、そのとき身についた読書体験がのちに生きて来ていることを、いま、実感している。
〝現代史〟とともにわたしの関心は〝国際政治〟にも向かった。しかし、こればっかりは読書だけではものにならない。現場に立つことが至上命題と思っていた。そして、テレビの取材という形で、意識して世界中を旅した。アラスカには犬橇レースの取材で1ヶ月、滞在した。1983年のこと。当時、TBSで『テレビシティ』という1時間のドキュメンタリー枠があり、アンカレッジからノームまで極北の大地を犬橇だけで走破するアイディダロット犬橇レースを取材した。26歳のときである。
それが初めての海外体験で、以来、海外渡航歴は現在まで50回近くになる。永く、北朝鮮は最大の関心事で、その集大成が2014年5月にフジテレビの当時の『ニュースJAPAN』でやったよど号・日本人村のスクープであった。これまで、わたしは北朝鮮に9回、入っている。帝銀事件とともに、このよど号にも深く関わることになるのだが、この二つに共通して行動を共にするのが救援連絡センターの山中幸男氏である。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など