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COLUMN「松竹九十年史―映画編 その2」
- VOL.14
- 小川 真理生さん
ここでは、「松竹」にまつわるコラムを紹介します。
小川 真理生さん(フリー編集者)
第14回 「松竹九十年史―映画編 その2」
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今回は、「花の松竹映画史」その2で、昭和二十五年からサンフランシスコ講和条約の発効した昭和二十七年(一九五二年)までを見てゆこう。
7・笑いのとまらぬ映画黄金時代
―いよいよ戦後の映画黄金時代に入るわけですが、松竹が連続業界第一位の収益を上げたのはこの時期でしたね。
昭和二十五年 「この年は前年末の生産復興対策が結実し、松竹映画の退勢挽回が目立ってきました。
先ず一月は、木暮実千代主演のメロドラマ『花も嵐も』に次いで、妻三郎一人二役の『影法師』が好調、三月には思春期の少女のセックスを取り扱った小糸のぶ氏原作、大庭秀雄監督の『乙女の性典』が、この種の題材としては初めての試みとあって、大きな社会的反響をよび、これよりいわゆる性典映画の流行となります。」
―今からみれば日常風俗でも、乳房をちょっと覗かせる程度の、あのころのセックス描写は大変なショックでした。
「四月以降は、高峰三枝子の『想い出のボレロ』、長谷川と山田五十鈴の『お富と与三郎』、黒澤明監督の『醜聞』、田中絹代アメリカ帰り記念の『婚約指輪』その他があり、七月下旬に、宝塚歌劇から入った淡島千景のデビュー作『てんやわんや』が華やかな宣伝とともに評判になり、後半に入ると、九月下旬に永井博士のベストセラー『長崎の鐘』が、大庭監督により強力な話題作となった。これは長崎にあって原子病に蝕まれながら、強い人間愛に生きる著者の自伝で、若原雅夫や月丘夢路らが熱演しています。
この年好調の大庭監督は、十一月下旬になって、大佛次郎氏原作の新聞小説『帰郷』を、佐分利と木暮で映画化、正月以外のこの年最高の配収を得ました。京都の苔寺が全国的な観光名所となったのは、この映画の背景にはじめて扱われてからです。
この年七月二十四日、下加茂撮影所のフィルム倉庫より出火して、大正十二年以降のネガフィルムをはじめ、ステージ一棟その他、由緒ある建物千二百平方メートルを焼失したことは、惜しみてもあまりある損失であった。
生産復興が順調になったので、会社はこの年六月、資本金を倍の四億八千万円に増額した。十月に入ると、公職追放となった重役全員が一斉解除となり、城戸四郎は相談役に、井上重正は顧問となった。またこの月の重役会で、大谷隆三が新取締役に選任され、同時に京都撮影所長に就任しました。」
昭和二十六年 ―この年の松竹映画は遂に業界第一位となりました。
「前年来の全社総決起運動の結果、その後の業績は着々と向上し、加うるに昨年六月に勃発した朝鮮動乱が、経済界に特需インフレの効果をもたらし、この正月の松竹映画は、直営収入が一億五千七百万円という、会社創立以来の最高記録をあげ、上半期の配収がまた十億一千八百万円と業界の首位となりました。これは戦中の中堅スターに加えて、戦後抬頭した新人スターのうち、佐田啓二、高橋貞二、鶴田浩二、三国連太郎らの男優陣、津島恵子、淡島千景、桂木洋子、小林トシ子、岸恵子、水原真知子らの女優たちが、若いファンに迎えられて、松竹映画に新鮮な魅力を盛り上げたからでもあります。
この年の製作映画は、恒例となった高峰三枝子の歌謡映画『情熱のルンバ』に、美空ひばりを中心の滑稽捕物『とんぼ返り道中』が正月の娯楽映画として喜ばれ、中旬からは大佛次郎氏作の『おぼろ駕籠』が、阪妻、絹代、五十鈴という豪華メンバーで、伊藤大輔監督で大好評。
そして三月、わが国最初のカラー映画として、映画史上に輝く『カルメン故郷に帰る』が、先ず東京劇場で優先公開されました。これは国産の富士フィルムと提携して、前年五月ごろより準備に着手し八月上旬、監督の木下恵介以下一行五十九名が軽井沢に出発。出演は高峰秀子、小林トシ子、佐野周二、井川邦子その他で、仕上がり二千三百六十メートルのオール・カラーです。富士フィルムは赤色の発色に難はあったが、軽井沢の山野を肌の白く美しい二人の女性が、赤と紺の水玉模様のワンピースをひるがえしながら漫歩する風景は、カラー映画の特色を如実に発揮して、ファンを驚喜させました。」
―日本トーキーを開拓した松竹としては、またまたカラーの開発に成功したわけ。
「次いで五月には、獅子文六氏作の評判新聞小説『自由学校』を、渋谷実監督で封切り、淡島、佐田、高峰、佐分利の好演で人気を呼んで、正月興行に劣らぬ景況でした。四月末の天皇誕生日から五月五日の子供の日にいたる、連日休日がこの年からはじまり、春のレジャー・タイムとして、映画界ではこの週間を“ゴールデン・ウィーク”の名でよび、各社ともこの季節を目ざして、特別大作を封切る慣例を作りました。
少年俳優・石浜朗を発見した木下監督の『少年期』についで、黒澤監督の松竹第二作『白痴』が公開されたのは六月。ロシア文学の長篇を原節子、森雅之、三船敏郎らの共演で、北海道の長期ロケによる三時間近い大作となったが、この前の『醜聞』と同様、興行的にはあまり成功しなかった。盆興行の七月が嵐寛寿郎の『鞍馬天狗・角兵衛獅子』、八月が島田正吾に五十鈴の『夏祭り三度笠』、九月が流行作家・三島由紀夫氏原作の『純白の夜』、これは人妻のよろめきを主題とした問題作となり、月末には一年一作の小津監督が『麦秋』を発表。これは婚期のおくれた原節子が、周囲の反対を押し切って、先妻の遺児と二人暮らしの二本柳寛と結婚する話を、北鎌倉の風土を取り入れながら克明に描いたもので、これまたこの年の文部大臣賞受賞作となりました。
十月は京都作品『鞍馬の火祭』が、嵐寛寿郎に岸恵子共演の娯楽作となり、その月末に木下作品『海の花火』、十一月が鶴田浩二とひばり共演の『あの丘越えて』、そして下旬にはこの年最高のヒット作となった『大江戸五人男』が、伊藤大輔監督により封切り。これは妻三郎の幡随院長兵衛を中心に、五十鈴、右太衛門、高橋貞二、月形龍之介、高田浩吉、高峰三枝子、花柳小菊、小月冴子ら出演という豪華キャストで、二十六週の配収は一億二千三百万円、その頃としてはまさに業界未曾有の超記録でした。
この年の九月に対日平和条約が成立し、連合軍総司令部の日本占領政策が順次緩和され、ひところ制限をうけた時代劇の、一ヵ月一本という限界が撤廃されたので、松竹は改めて時代劇の拡充方策をとり、大谷隆三所長の指揮のもとに、太秦撮影所に時代劇製作本部をおいて積極策を推進した。その現われが『大江戸五人男』の大成功に結実したのです。
またこの年は、大正十年に松竹キネマ株式会社が発足してから、満三十年に当たるので、これを機会に“松竹三十周年記念式典”を、五月十七日を中心に東京歌舞伎座その他で、盛大に挙行しました。
昭和二十七年 この年の一月興行は、阪妻主演の『稲妻草紙』に淡島千景ら人気女優出演の『陽気な渡り鳥』、右太衛門十八番の『旗本退屈男・江戸城罷り通る』などで、直営館の収入月額二億一千万円とまたまた新記録。二月は北上弥太朗のデビュー作『出世鳶』に長谷川一夫の『治郎吉格子』。三月からは井伏鱒二氏作、渋谷監督の『本日休診』が鶴田、淡島に柳永二郎、田村秋子の好演で佳作となる。
このころになると、終戦当時の新映画不足は昔語りとなり、二本立て興行が下番線あたりから流行し始めた。松竹はその傾向に応えるべく、豊富なスタッフと俳優陣を活用して、シスター(姉妹)映画とよばれる中篇作品を製作し、随時二本立て番組を作成しました。
シスター映画には二つの目的があり、ひとつはこれによって新人監督や新人俳優の登用の道を拓き、一つは契約館から併映の他社作品を不要とする政策です。シスター映画の第一作は、西河克巳監督の『伊豆の艶歌師』、つづいて池田浩郎、萩山輝男、堀内真直、小林正樹などが登用され、なかでも『息子の青春』の小林監督の進出が目立った。
さて五月からは、この頃すこぶる快調の京都作品が、阪妻の二役と五十鈴の共演による大曾根監督の『魔像』を第一陣として、右太衛門と五十鈴の『月形半平太』、阪妻と淡島の『丹下左膳』と、矢継ぎ早の娯楽大作で京都撮影所は大活躍。九月にはこれも好調をつづける渋谷監督が、池部良と山田五十鈴による佳作『現代人』を放った。
年一作の小津作品は、十月に入って『お茶漬の味』が完成、佐分利と木暮の夫婦に鶴田と津島の若い恋人を対比させ、封切り配収が三千万円突破という本年度最高の記録を出しました。小津作品は、作品の高度な格調と、ドタマチックな誇張された演出がないことと、知名スターを起用しないために、興行価値としてはあまり期待できなかったが、戦後の『晩春』あたりから、観客の知的水準の向上とともに、興行価値も一作毎に倍増する傾向を示しました。
木下恵介は昭和二十六年秋、『海の花火』を完成するとまもなく、ヨーロッパ映画界見物の旅に出発し、この年七月に帰国、その見聞みやげというべき『カルメン純情す』を十一月中旬に発表し、アングルをすべて斜に構図し、前衛的、鋭角的な感覚を意図した点が注目されました。
この年一月十六日未明に、大船撮影所の事務所本館が出火全焼し、早速再建にとりかかって八月二十日に竣工した。
大正十二年以来、松竹時代劇を主として製作してきた下加茂撮影所は、この年九月から傍系の京都映画株式会社へ売却し、その資金で太秦撮影所に第五ステージを増設した。
このころになると松竹の新人スターの中には、他社の勧誘に応じて自由出演を申し出る者があり、専属契約制に対する人権拘束の問題などが、業界の話題となった。三国連太郎、鶴田浩二、岸恵子、津島恵子などがフリーの形態をとったのはその先例です。」
この後も松竹映画の歴史は続きますが、日本占領下(沖縄除く)の事績をたどるのは、このへんで擱筆する。
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プロフィール:小川 真理生(おがわ・まりお)
略歴:1949年生まれ。
汎世書房代表。日本広報学会会員。『同時代批評』同人。
企画グループ日暮会メンバー