HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-9 Vol.9 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-9
- VOL.9
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-9
2007年の夏もそろそろ終わろうかという頃、わたしは武彦さんと北海道の小樽を訪問していた。小樽は平沢貞通・死刑囚のふるさとで、大正から昭和の初期にかけて、にしん御殿が建てられたことでも知られるとても栄えた地方都市であった。その地の御大尽たちに高名な画家として平沢死刑囚は認められ、画家として栄華を極めていた。艶福家でもあった画伯は、当地にいるころから愛人が何人もいたと噂されるほどの有名人であった。しかし、事件後は、その存在は忘れ去られ、意図的に存在か消し去られたとしても仕方のないことであろう。
わたしと武彦さんは二人して、少ないながら残されている平沢画伯の足跡を辿ったのが、いまとなっては楽しいよき思い出となっている。まずは、平沢画伯が通っていた旧制・小樽中学、現在の名門・小樽潮陵高校を訪ねた。学校に備え付けの金庫の中から平沢画伯の十七歳当時の絵が出てきたのにはびっくりした。北海道の大地に立つ孤高の鹿の姿が描かれた風景画で、〝地平線の画家〟といわれた平沢の原点のような作品であった。このほかにも、市立小樽美術館所蔵の浜辺で魚網の手入れする漁師を描いた『網子のとき』や小樽の地元企業の北の誉(ほまれ)酒造の別荘「和光荘」の応接間に飾られた『赤松と海』などを見て回った。この「和光荘」は1954年に昭和天皇がご訪問になった由緒正しき場所で、なぜか、帝銀事件で平沢画伯が逮捕されたのちも、2007年当時も、その応接間に『赤松と海』は飾られていた。テンペラ画の名作と呼ばれている作品だ。
しかし、こういったのは希なことで、多くの作品が事件後には壁から外され、いまだに行方不明の作品が何作品もある。武彦さんはそういった行方が知れない作品を探すことで、画家としての平沢を再評価してもらい、ひいては、それが冤罪を晴らすきっかけになると活動していた。まさにその姿を、わたしはドキュメンタリーとして追いかけ、その年の年末にTBS『報道特集』で番組にしたのである。このとき、平沢が逮捕された当時の自宅がそのまま小樽に残されていて、そこにも武彦さんと訪問した。どこかの企業の倉庫として使われていて、それでも許可をもらって家の中まで入った記憶がある。押入れに古い新聞が貼ってあって、すわ当時の新聞かと色めき立ったが、意外と最近の新聞でがっかりした。二階家で、当時としては、それなりの家であったと思われるが、繁華街のすぐ目と鼻の地になぜ、こんなぼろ家が残されていたのか。あの平沢の自宅ということで誰も買い手がつかなかったのか。多分そうだろう。あれだけの事件の犯人として、死刑宣告まで受けた人物である。坂の途中にひっそりと取り残されたあばら家が平沢貞通・死刑囚の哀れな姿と重なって、いまも忘れることができない。
郊外の墓地には平沢貞通のお墓もあって、それがまた広大な墓地でお墓を見つけるのに苦労したのも、今となっては、懐かしい思い出となっている。しかし、なぜ、平沢はこの小樽に住んでいたのか。そもそも、を辿ってみると、平沢の出自のようなものが垣間見えてくるのである。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など