HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-7 Vol.7 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-7
- VOL.7
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-7
わたしがTBSの報道番組『サンデーモーニング』の構成作家になる少し前の話である。1990年代の前半。まだ、バブルの恩恵というかバブルの残滓が漂っていた時代。同じTBSで、夜の9時台に2時間の豪華版・情報番組があった。大橋巨泉、関口宏、石坂浩二といった大物司会者が交代でMC(司会者)を務め、潤沢な予算があったのか毎回、大仕掛けな趣向が凝らされていた番組『ギミア・ぶれいく』。
最も話題を呼んだのはコピーライターの糸井重里が隊長となって、群馬の赤城山をショベルカーで掘りまくった徳川埋蔵金。
この番組『ギミア・ぶれいく』の中で、わたしは海外取材ものを3回、やっている。最初にやったのが、当時のゴルバチョフ来日(1991年4月)を狙って、北方領土を取材するもの。当時もいまも、北方領土は日本の固有の領土ということで、そう簡単な取材ではなかった。わたしは国後島、色丹島は勿論、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾の海岸にも、この足で立っている。続いて、これはわたし自身がリポーターとして出演までした台湾マフィアもの。楊双伍という台湾マフィアきっての殺し屋を台湾の刑務所まで訪ね、台湾マフィア殲滅を目的とした台湾警察の特殊部隊に密着取材したハードな作品で、視聴率は20%を超えた。そして、3本目は、戦場カメラマンの山本将文さんと朝鮮半島38度線を縦断するもの。すべて、いまのわたしに通じる内容のものばかりである。
この『ギミア・ぶれいく』を、よりドキュメンタリー部分に特化したあと番組が『THE・プレゼンター』。1994年、いまはもう亡くなったが女優の森光子さんが当時、プレゼンターとなって始めた企画が『昭和怪犯罪史』であった。シリーズでやる予定が結局、一回で終わってしまったが、ここで、わたしは帝銀事件と下山事件を完璧な形で再現ドラマにした。
いや、わたしが、というのは間違いだ。TBSの局員ディレクターがTBSの報道素材とノウハウを総動員して作ったものの構成(ナレーション)を当時、構成作家だったわたしが担当した、というのが正しい表現である。従って、このとき、わたしは現場の取材はしていない。局員ディレクターは平沢貞通のアリバイを調査する目的で、アメリカ取材までしているが、わたしは行っていない。それに内容はウィリアム・トリプレットの著書『帝銀事件の真実』であったり、松本清張の『日本の黒い霧』(下山事件)をそのまま再現したもので、新しい事実はほとんど提示できてはいなかった。
ただ、どちらの事件も知らない一般視聴者にはGHQ占領下にこんな不可解な事件があったのかという大きな衝撃を与えたらしく、反応はまずまずであった。平沢は、無実を主張するようになってから、事件が発生していた時間には中野の自宅にいて、三女と、三女が勤める銀座PXの同僚であるウェイン・エリィ(もしくはエディ)という軍属と三人で、三女が焼いたアップルパイを一緒に食べたと話していた。TBSの局員ディレクターは、事件直後にアメリカに強制送還されたそのウェイン・エリィ(もしくはエディ)を探しに現在のアメリカ本国を取材したが、結局、足跡は辿れなかった。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など