GHQ CLUB. あの日あなたは何をしていましたか? あなたにとってGHQとは?

HOME > 地方占領期調査報告 > 地方占領期調査報告第29回「鹿鳴人のつぶやき 奈良のまちかどから」

地方占領期調査報告

INVESTIGATION REPORT
地方占領期調査報告第29回
「鹿鳴人のつぶやき 奈良のまちかどから」

地方占領期調査報告第29回「鹿鳴人のつぶやき 奈良のまちかどから」

「鹿鳴人のつぶやき 奈良のまちかどから」のブログより――

奈良のアメリカ進駐軍のあと、・・・。

いきなりですが、戦後も67年経ちました。
最近、友人たちとの間で、戦後の進駐軍の話が話題になっています。
奈良でもアメリカの進駐軍が昭和20年代にはいました。その名残りはだんだん少なくなっているようです。
かつての奈良女子大学文学部附属中学校・高等学校はいま、奈良女子大学附属中等教育学校といい、中学高校の一貫校です。
2010年に創立100周年を迎えています。
その校庭に、アメリカ進駐軍の石碑が残されています。
先日所用でおじゃましたとき、写真を撮ってきました。

以下はわたしの友人へのメールです。参考までに。 ・・・・・
進駐軍のことは直接見たのか、あとで本やほかの人から聞いたことのか記憶が混在しています。
まず当方の店の近くにはアメリカのチョコレート、チューインガム、コーヒー、ココア、など輸入食料品を売っている小さな店が三条通に3つありました。子供の頃、物欲しそうにながめていました。
また当方の店にはAサインの店の表示がありました。アメリカ人など外人に父がよく英語で商売していました。のちにAサインがある店にはアメリカの兵隊が買い物できる店ということを知りました。(沖縄も同じということでした)
三条通りにはMPがジープでよく走っていました。
また近くには、2ヶ所ほどキャバレーやダンスホールがありました。ミラーボールが光っていました。
近鉄駅前には、軍隊色のバスが走っていて、SCHOOLの表示がありました。綴りまでおぼえているのはあとで写真を見たせいかと思いますが、アメリカの子供の学校へのバスが走っていたことは覚えています。
戦前、今の奈良教育大学は38連隊があったところで、池をはさんで附属のところは演習場であったと、奈良の昔に詳しい増尾正子さんに聞きました。
戦後、附属の場所には、アメリカ軍のキャンプがあったそうです。 かつての講堂はシアターといって娯楽施設、体育館は木造でやはり体育館だったそうです。その2階に1レーンでしたがボーリングのレーンがあったと言っていますが、そのとおりだと思います。
大教室や家庭科の教室があった南北の校舎は、白い大きな壁に、緑とエンジ色のような赤で合計三色でした。
A地区には飛行機の格納庫らしい建物がありました。直接見ていませんが滑走路もあったように先輩から聞いています。
今も当時の英語で書かれた石碑が、進駐軍のあったことを物語っていると、現在も校庭に案内文を添えて保管されています。(我々が行っていた頃は、プールに上がる小さな坂にあったそうです)。
ドリームランドは高級将校の住まいだったそうで、わたしも偶然ドリームランド建設前にそこをドライブ見学することができました。ドリームランドのオープンはたしか1961年です。
法華寺町に航空自衛隊の幹部候補生学校がありますが、そこも、アメリカの進駐軍のあとであると、先日新聞で読みました。
また奈良女子大学での展示会で見たのですが、尼ケ辻町の積水の工場あたりに、急にアメリカの兵隊用に慰安婦がいる慰安施設ができて反対運動がおこり撤去されたということでした。
奈良ホテルも進駐軍に接収されていたということです。