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地方占領期調査報告

INVESTIGATION REPORT
地方占領期調査報告第28回
「浜松の警察官の俳句から」

地方占領期調査報告第28回「浜松の警察官の俳句から」

「中日新聞しずおか」の記事「平和の俳句〈4〉」を紹介します。

戦後70年 源流 平和の俳句<4>

御殿場・滝静雄さん(1910~83)

浮浪兒のかたまってゐる夜寒哉

※兒=じ 夜寒哉=よざむかな

◆助けられない無力感


  • 警察官だった滝静雄さん=遺族提供

 御殿場で生まれ育った滝静雄(一九一〇~八三)の遺品の中に一枚のざら紙がある。

「警察官諸君に與(あた)ふ」

 敗戦から間もなく内務省警保局(現・警察庁)が全国に送った、手のひら大の秘密文書。進駐軍に不当な行動を取る日本人がいたら厳しく取り締まれ、と命じる内容だった。
 「誰しもが愉快には思はれないが、然(しか)し實(じつ)は本當(ほんとう)に重要である此(こ)の仕事にこそ、諸君は、男らしき自信を以(も)って臨む可(べ)きである」。悔しくても悲しくても、それが国の再建のためだと。
 滝は浜松署(現・浜松中央署)のナンバー2である次席を務めていた。軍国主義に盾突く者への過酷な尋問で鬼と恐れられた特別高等警察(特高)の出身だったが、この文書を何度も読み返して強引に気持ちを切り替えた。警察組織に残り、静岡中央署長や県警察学校長を歴任して六四年に勇退した。
 「おやじは戦前も戦後も国を支えようとしていただけ。言いたいことはあったんだろうけど、ぐっとのみ込んでいた」と語るのは、静岡市葵区に住む次男の武彦(71)。滝は特高時代のことを家族にも話したがらなかったが、「自分は与えられた職務を果たした公務員に過ぎなかった」と振り返ったことがある。
 そんな我慢をまぎらす場だったのかもしれない。滝は戦後、浜松の俳誌「海坂(うなさか)」で句作に励んだ。


  • 昭和20年代の炊き出しに集まる戦災孤児たち。
    戦時中の空襲や艦砲射撃で住む家も親も失い、
    駅や地下道で寝泊まりしていた=浜松復興記念館提供

 <浮浪兒(じ)のかたまってゐる夜寒哉(よざむかな)>は、二俣署(現・天竜署)の署長だった四七年秋に発表した作品だ。俳句仲間で浜松市天竜区の和田孝子(85)は「戦災孤児が多かった浜松の街を詠んだ」と解釈する。
 孤児たちが身を寄せ合って夜の冷え込みをしのいでいる。もうすぐ冬が来るのに自分は何もできない。
 滝は五七年に浜松中央署に戻り、署長に就任。戦時中に署内にあった浜松防空監視隊本部の女性百六十人の同窓会「夕虹会」の立ち上げに尽力した。
 米軍の激しい空襲を自分と一緒にバケツリレーで耐え忍んだ同志として、女性たちをねぎらったのかもしれない。ただ、この部隊の一員だった浜松市西区の伊藤恵美子(90)は、滝の別の気持ちをおもんばかる。
 「警察幹部として弱い者まで戦争に巻き込んで苦労をかけてしまったと、責任を感じていたのではないでしょうか」
 伊藤は「孤児の身の上を案じた優しい句」と在りし日の滝をしのんだ。
(文中敬称略)

 ここから、占領期の警察官の思いが偲ばれます