HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-47 Vol.47 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-47
- VOL.47
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-47
2013年が明けた。年末・年始と、わたしは坂出(香川県)の実家に帰っていた。脳梗塞で入院中の母を見舞うのが目的であった。
もともとわたしは坂出市(さかいでし)の八幡町(はちまんちょう)という、その名のとおりに八幡神社がある地域で生まれている。しかし、その頃は、加茂町(かもちょう)といってJRの駅で言うと坂出駅の、一つ高松寄りの鴨川駅の近くに両親と兄が同じ敷地内に家を新築していて、そこがわたしの実家になっていた。
大学で東京に出て、テレビの仕事をしていたわたしは、ふるさとに帰って、両親らと暮らすことなど考えてなく、それでも両親はわざわざ家を新築するとき、わたしの部屋を2階に作ってくれていた。父親は家を建てて2年後に亡くなっている。兄も離婚を経験するなど、その加茂の家はわたしたち原渕家の人々にとっていい思い出ばかりではなかったが、子ども時代を八幡町の、自宅に風呂もない借家生活をしていたわたしにとって、いまの実家はかけがえのないものであった。
かなり大きな家で、ここ数年は母が一人で住んでいた。その母が入院したことで、わたしは誰もいない実家で年末・年始を味気ない思いで過ごすことに。しかも、入院中の母がまだ脳梗塞の後遺症から記憶が混濁していて、ショックなことに記憶喪失状態にあったのだ。あれほどわたしのことを思い続けてくれていた母が見舞いに訪れたわたしのことを「どちらさんですか?」と。わたしのなかで、その瞬間に何かが壊れる音がした。……母は肉体は生存していても記憶という思い出のすべてが失われていた。もしこのまま母の記憶が戻らなければ、わたしにとって母は存在していないのも同じだと。ただ、若い頃から美人であった母親が髪を下ろして、いっさい化粧をしてなくて、少女のような無垢な顔をしていたのが救いというか、とても印象に残っている。のちに母親は入院先から介護施設に移されたが、その頃には記憶は戻っている。しかし、脳梗塞で倒れた以降の母は、以前の母ではなく、失われたものの大きさにいまも心の整理がわたしはついてはいない。
テレビの世界で、ある程度の実績を残してきた自分が母親の脳梗塞による入院、そして若松監督の死によって駄目になってしまうとしたら自分がやってきたことは何だったのか。大切なものはいつかは失われる。しかし、わたしは前に向かって進まなければならない。同じ場所にとどまっているわけにはいかない。
わたしは新しいテーマを模索した。また、新たな出会いもあり、その年に韓国の大統領に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領の就任式の取材のためにソウルに行った。その旅で出会ったのがドタキャン騒動などでテレビに出なくなっていた狂言の和泉元弥のお母さんの節子さんとその家族であった。その直後に紹介された狂言和泉流宗家の和泉元弥氏は和泉流狂言を次の世代に伝えることに真摯に取り組んでいた。これまでテレビその他でわたしが感じていたイメージとは随分違っていた。わたしは和泉流を継承する子どもたちを追いかけるドキュメンタリーを制作して、フジテレビ深夜の『NONFIX』で放送することに成功している。わたしの母や、亡くなった若松監督に見てもらって恥ずかしくない番組をこうやって自分は自分の力で不遜かもしれないが作り続けて行こうと決意を新たにしている。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など