HOME > コラム > コラム 帝銀事件とは何だったのか-39 Vol.39 原渕 勝仁さん
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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-39
- VOL.39
- 原渕 勝仁さん
占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。
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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-39
また、ある時は、陸軍中野学校跡地を歩いたこともあった。これも〝人骨の会〟の鳥居靖さんが計画して、案内してくれた。確か、西武新宿線の新井薬師前駅に集合して、歩いてJR中野駅まで向かった。わたしも田舎から上京したての頃、東京の有名な場所を訪ね歩いたことがあった。その時は、ちゃんと中野刑務所のコンクリートの巨大な壁が存在していたが、すでにそれはなく、ちょっとした緑の公園になっていた。
それから、JR中野駅近くの、かつての陸軍中野学校があったあたりは、警察大学校の建物が建っていて、その一角に陸軍中野学校がここにあったことを示す小さな石碑だけが木立の陰に隠れるようにひっそりと存在していた。そこら一帯は警察関連の施設があったらしいのだが、われわれが訪れた時には、広大な更地になっていて、何年後かにここに早稲田大学、明治大学、平成帝京大学の校舎が建つみたいなことを教えられた(現在、確かにその三校がキャンパスに使用している)。
実は、そのあと夕方からこの陸軍中野学校に関する講演会をわたしは鳥居さんから頼まれていたのである。場所はJR中野駅から歩いて5分くらいのところにある中野ゼロ小ホール。数年前、わたしはフジテレビの「ザ・ノンフィクション」で「ショーケンという孤独」というドキュメンタリー番組を制作した。その俳優で歌手の萩原健一氏がこの中野ゼロ大ホールでコンサートをやったとき訪れたことがあったが、今回は自分の講演会。しかも、そのタイトルが「陸軍中野学校と帝銀事件」。わたしにこんなだいそれたテーマで話ができるのか不安であったが、帝銀事件に関しては誰にも負けない知識と人脈があるわけだし、真犯人は100%間違いなく、陸軍中野学校もしくは、それに準ずる特務機関員であると考えているのであるから、それにそった話をしてくれればいい、と言われ、それならできるような気がしてお引き受けした。30人くらいか観客が集まっていた。中には、南弁護士の事務所の集まりで顔馴染みの人もいたが、ほとんど初めてお会いするような方々で、大半が年配の方々であった。自分が作った帝銀事件の番組を録画したDVDで、殺害現場を再現した映像を見せて、その手口がいかに鮮やかで、その種の訓練を受けたものにしかできないかを話した。そして、登戸の伴繁雄らの証言をもとに731部隊もしくは1644部隊で陸軍中野学校出身の特務機関員がマルタに帝銀事件とそっくりな手口で毒薬を飲ましたことを説明した。これには観客の多くが驚きを隠せないようだった。
終わって、観客のなかにはもっと詳しく話を聞きたいと、声をかけてくれる人も何人かいた。全体にかなり好評で、わたしも少し満足していた。しかし、なんとそこに観客のなかに作家の斉藤充功(みちのり)さんがいたのである。はっきり言って、現時点で陸軍中野学校に関して、最も深い取材をしている現役の作家は、この斉藤充功さんしかいないといっても過言ではない。それくらいの権威である。その斉藤充功さんの前で、陸軍中野学校の話を得意げにしていたわけだからもう顔から火を噴くほど恥ずかしく、びっくりした。
でも、救いであったのは講演会の中で、わたしは当の斉藤充功さんのお名前を出して、「この作家の素晴らしい作品」で、わたしが中野学校のことを勉強した旨、正直に話していたのだ。
- プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など