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帝銀事件とは何だったのか

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MYSTERY
HUNTER帝銀事件とは何だったのか-3

VOL.3
原渕 勝仁さん

占領時代のミステリー・ハンターあらわる!
占領時代の事件、今もって解明されておらず、
「〇〇は無実である」という雪冤の運動は続いている。
ミステリー・ハンター 原渕 勝仁氏がそれら謎を多角的に解明する。

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オキュパイド・ジャパン・ミステリー・ハンター
帝銀事件とは何だったのか-3

 

わたしは、帝銀事件の犯人は「悪魔のような」じゃなく、〝悪魔〟そのものか、そうじゃないなら精神に異常を持った人間の犯行であろうと考えている。そうとでも考えなければ、だって、これを飲めば死ぬことがわかっていて、16人もの銀行関係者に毒をのませているのである。16人の中には、終戦直後でお手伝いの家族が住んでいて、疎開から戻ったばかりの10代の娘や小学校に上がる前の幼児も含まれていた。まともな精神であの犯行はできないと思う。あの戦争から2年とちょっと。ついこの間まで、戦場で人を殺しまくっていたわけである。人を殺すことに精神の痛みを感じなくなった元・兵士もいたのではないか。そうかもしれない。しかし、だとしたらそれは、やはり、〝悪魔〟か、精神異常者であろう。

なぜ、こんなことを書くかというと、帝銀事件の犯人像を追及すると、どうしても行き着く先が決まっているのだ。それが七三一部隊である。人は何らかの目的があれば、自己を正当化すれば、人が殺せるのかもしれない。医学の発展という目的のためなら人体実験もやむを得ない。ましてや彼らは死刑を宣告された敵のスパイたちだ。

それにしても、彼らに心の痛みはなかったのか。なかったとしたら、やっぱり、〝悪魔〟としか言いようがない。この七三一部隊の存在を世に知らしめたのが、作家・森村誠一氏の『悪魔の飽食』である。このタイトルには、本当に深い意味が込められていると感心する。

実は、この著書には共同執筆者がいて、それがジャーナリストの下里(俊成)正樹氏である。下里氏とわたしは、かつてテレビの報道番組で一緒に仕事をした仲間、いや、年齢が20歳もあちらが上で〝仲間〟というのは失礼であるが、そのときの四面楚歌の状況からして、あえて〝仲間〟、あるいは〝盟友〟と呼んでも許してくれると思っている。

いまも、人気番組として存在しているTBS『サンデーモーニング』。ちょうど、オウム事件の真っ只中、わたしと下里氏は二人で、オウムの闇を追い続けていた。時に危ない領域にまで斬り込み、局のプロデューサーらを冷や冷やさせていた。しかし、テレビ番組には「毎分」と言って、分刻みで視聴率が測定され、グラフで表示される。毎回、わたしと下里氏でやったコーナーが飛びぬけた視聴率を叩き出していた。オウムは本当は何をやろうとしていたのか。視聴者の感心はこの一点にあった。その疑問に不完全ではあるが、下里氏は答えていた。そのことを視聴率が示していた。その後、あまりにも突出し過ぎたこともって、番組内で孤立してしまった下里氏もわたしもあの番組を降ろされることになり、以来、テレビで一緒に仕事をすることはなくなったが、いまもよい関係は続いている。

その下里氏から帝銀事件と七三一部隊の関係について興味深い話を聞いている。それが七三一部隊に水彩画家が何人もいたらしいという話である。

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プロフィール:原渕 勝仁(はらぶち・かつひと)
略歴:1956年、香川県坂出市生まれ。立教大学法学部中退。
代表作/TBS 『報道特集』「戦艦大和 幻のフィルム」「帝銀事件 絵探しの旅」「連合赤軍事件 36年目の真実」フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「ショーケンという孤独」テレビ朝日『ザ・スクープSP』「よど号ハイジャック事件 40年目の真相」WOWOW『ノンフィクションW』「映画監督・若松孝二 17才の光と影」「ミャンマーの幻の格闘技ラウェー」「遥かなる北極点 孤高の冒険家・荻田泰永」テレビ朝日『テレメンタリー』「決着 若松孝二と岡本公三」フジテレビ『NONFIX』「フランスの城で男が描く夢 フレスコ画家・高橋久雄の挑戦」「受け継がれる心と形 狂言・和泉流宗家」フジテレビ『ニュースJAPAN』「スクープ潜入!よど号日本人村」テレビ東京『未来世紀ジパング』「北朝鮮・ケソン工業団地」など