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No.3
「第一次経済白書
(昭和22年度経済実相報告書)」

 経済白書は、昭和22年(1947)に初めて公表され、以来、書き継がれているが、ここでは、第一次の経済白書、つまり「経済実相報告書」の一部を示す。
 その構成は、以下の通りである。

  • 第一 総説
  • 第二 各論
  •  一 物価、賃金、家計費
  •  二 国民生活
  •  三 生産
  •  四 輸送
  •  五 財政金融
  •  六 雇用、労働
  •  七 貿易
  • 第三 結語

 講談社学術文庫「第一次経済白書」経済安定本部、として、1977年3月に発行されているので、読もうとすればたやすくできるだろう。ここでは、「第三 結語」だけを示すが、前もって金森久雄の「解説」を読めば、より理解が深まるだろう。
「第一回の白書が発表されたのは、昭和二十二年七月四日である。この白書には、当時経済安定本部の総合調整副委員長であった都留重人氏の考え方が強くでているので、都留白書と普通よばれているが、公式の名称は、経済実相報告書であった。都留氏が自ら総論と家計の部分を書き、各論のその他の部分を、調査課長の大来佐武郎氏が書いた。この少し前、イギリスで経済白書がでて、和田博雄氏、都留氏、大来氏の間で将来このようなものを日本でもだす必要があるというような議論が交わされていたが、それが、五月二十四日片山内閣ができ、和田氏が経済安定本部の長官になることによって現実化したわけである」
「第一回目の白書は短い。……それが伝えようとしている内容はつぎのようなものであった。『日本経済を構成している三つの主な部門である国の財政・企業・家計はどれも赤字となっている。この赤字を補うには、ストックを食いつぶすか、財産を売り払うしかないが、それも終戦以来の二ヵ年間にほとんど使いつくしてしまった。国民は生命を維持するにはマル公で配給される物資だけではたりず、ヤミ物資に頼らなくてはならないが、そのために家計は貯金の引出しや財産の売却等のタケノコ生活を強いられ、もはやギリギリのところにまで追いつめられている。その反面、企業はすべてが赤字でなく、ヤミ取引等で不当な黒字をあげているものもあるが、国全体としての縮小再生産の結果、国土の荒廃、設備の老朽化、国民の栄養の低下が続いている。』そうして、白書はつぎのような言葉で結んでいる。」として、「結語」の「再生産の規模がだんだん狭まって……」以下を引用している。
 では、「結語」を読んでください。敗戦後の日本経済の実状をよくわかっていない国民に知らせ、国民の協力を得ようとしていることがよくわかるだろう。

「第三 結語
一、 われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気にかけていた。
 いまは過去となった悪夢のような戦争のさ中でも、望まぬ現実には眼をおおい、望む方向には事実をまげようとする為政者の怯懦な態度は、はかり知れぬほど国民にわざわいした。
 ここに述べてきたわが国経済の実状は決してなまやさしいものではない。
 この報告書はやむをえぬ事情もてつだって、すべてをつくすことはできなかったが、事柄の容易ならぬものであることを、国民各位に伝えるのに不十分であったということはできないだろう。問題は、単に、人間の体にして見れば指を切ったとか足が折れたとかいう程度ではないのである。いわば、もっと生理学的な面、たとえば血液の中に毒がまわったとか、内分泌腺の機能がそこなわれたとかいう種類の問題もわれわれをなやましている。正直者が馬鹿をみたり、まじめに働くものが損をしたりする現実は、とりもなおさず、経済という有機体の生理学的な故障をものがたるものである。政府はこのような事実を率直に国民とわかちあって、国をあげての再建復興のためのいしずえにしたい。
二、近代社会の複雑な組立てのなかでは、一人一人の勤労の成果がどのように生活改善にむすびついているかをみきわめることは、単純なことがらではない。ロビンソン・クルーソーが自らはたらいては自分の生活を豊かにしてゆく透明な関係とはちがうのである。しかし、経済が危機に立ったときには、われわれは否応なしに、ものごとをいままでになく透明かつ直接的につかむことを余儀なくされもするし、またそうしなければならない。再生産の規模がだんだん狭まってゆくような事態をぬけでて、希望にみちた復興再建の途上にのりだす過程は、当然のことではあるが、まじめにはたらくものどうしがもっともっと直接につながりあって、自らの労働の成果を通じて生活を豊かにしてゆく過程、そしてそのためには一時的な耐乏も自らのためのものとして、自らが自らに課するところの過程でもなければならない。民主日本の門途とは、人民の、人民による、人民のための政府をつくりあげる関頭に立っていることを意味する。「人民のための政府」であるためには、「人民による政府」でなければならぬ。政府は、国民各位の積極的な支援とべんたつの上にのみ、その功をおさめうるものと確信する。」