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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか
- 第17回
フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.50 - 「日本国憲法草案審議の地」
X氏ヒストリーのコーナーですが、久しぶりにフォト・ストーリー50回「日本国憲法草案審議の地」です。
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地下鉄の南北線「六本木一丁目駅」で下車、国会前から全日空ホテル前を走ってきた六本木通りを右手に分かれた麻布通り側に出て、行合坂―飯倉片町の左側に進み、最初の角を左側に曲がれば、在日サウジアラビア王国大使館があります。その隣の境界に、「日本国憲法草案審議の地」の碑が立っています。このへんは、かつて麻布市兵衛町と呼ばれ、外務大臣公邸がありました。
麻生和子は『父 吉田茂』で、こう書いています。「麻布市兵衛町の当時の外務大臣公邸は、六本木から飯倉方面に行ってつきあたりの、いまは「八木通商」という看板の掛かっているところにありました。原田積善会の結婚式場を政府が借り上げて公邸にしていたものですが、爆撃を受けて玄関の壁がなかったのです。その公邸の奥の部屋は仏間で、大きな仏壇が入るはずの場所にベッドを横にしてピッチリと入れ、父はそこに寝泊まりしていました。仏壇自体は取り外されているいっても、黒縁のお仏壇特有の飾りはそのままでしたから、そこにベッドがおさまっている様子はなんともいえない妙な光景でした」。
では、そこで憲法草案の一件はどうであったかについて、半藤一利著『日本国憲法の二〇〇日』で見てみよう。
……楢橋渡書記官長に電話がかかり、「本日に予定されている会談をくりのべて、明(一九四六年二月)十三日、憲法問題でわが方は重大な提案をするから、会合の準備をせよ」とのGHQ通告を日本側が受けたのは、十二日夕刻のことである。電話の相手は民政局長ホイットニー、と楢橋はただちに自宅でくつろぐ松本国務相に伝える。
そして会合の場所は麻布市兵衛町の外相官邸にすることが決められた。
二月十三日は朝から、真冬であるというのに暖かく、空はきれいに晴れ上がっている。さっぱりした気持で吉田外相、松本国務相、終戦連絡中央事務局次長白洲次郎、外務省通訳長谷元吉の四人が待ちうける外相官邸に、軍用車でホイットニー准将、ケーディス大佐、ハッシイ中佐、ラウエル中佐が、約束の午前十時ぴったりに到着した。サンルームで互いの紹介が終わると、間髪をいれずに、民政局スタッフによって九日間の昼夜兼行の作業で作成されたGHQ憲法草案を、ホイットニーは日本側に手渡した。それを一瞥しただけで、日本側のだれもが顔色を変えた光景は、マーク・ゲイン『ニッポン日記』そのほかで描かれあまりにも有名である。
また、この会談で何が離されたかについても、日米双方が記録を残している。くわしいのは断然アメリカ側であるが、内容はそれほど大きな差異はない。日本側の記録は、まず滔々とやりだしたホイットニーの演説をこう要約している。(原文は片カナ)。
「本案は内容形式共に決して之を貴方に押付ける考にあらざるも、実は之はマカーサ元帥が米国内部の強烈なる反対を押切り、天皇を擁護申上げる為に、非常なる苦心と慎重の考慮を以て、之ならば大丈夫と思う案を作成せるものにして、また最近の日本の情勢を見るに、本案は日本民衆の要望にも合するものなりと信ずると言えり」
これがアメリカ側の記録「ラウエル文書」となると、ずっと具体的に生き生きとしたものになる。しかも、より懇切に、説得的にホイットニーが説いているのである。
「御存知かどうかわかりませんが、最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力から、天皇を守ろうという決意を固く保持しています。これまで最高司令官は、天皇を護ってまいりました。それは彼が、そうすることが正義に合すると考えているからであり、今後も力の及ぶ限りそうするでありましょう。しかし皆さん、最高司令官といえども、万能ではありません。けれども最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題として、天皇は安泰になると考えています。さらに最高司令官は、これを受け容れることによって、日本が連合国の管理から自由になる日がずっと早くなるだろうと考え、また日本国民のために連合国が要求している基本的自由が、日本国民に与えられることになると考えております」
この瞬間、勝負あった! といっていいのであろう。皇位を保持する。現天皇の身柄を安泰にする。戦後日本の指導者である人びとが生命を賭しても守らねばならないとしているのは、まさにこの二点であったからである。ホイットニーはその核心を衝いて、GHQ案の全面的受け入れを要請したのである。日本側の四人の様子を「はっきりと、茫然たる表情を示した。白洲氏は坐り直して姿勢を正し、松本博士は大きな息をつき、特に吉田氏の顔は、驚愕と憂慮の色を示していた」と、アメリカ側の記録は書きとどめている。ただ、丁寧に読めばわかるように、GHQ側は自分たちの案をあたまから日本側に押しつけているわけではない。
ところが、松本はその死去のちょうど三ヵ月前の二十九年七月七日に、自由党憲法調査会での講演のなかでこういっている。
「ホイットニー少将(ママ)が立ち、向こうの案をタイプしたもの八、九冊ぐらい机の上に出して、極めて厳格な態度でこいういうことをいいました。日本政府から提案された憲法改正案は司令部にとって承認すべからざるものである。この当方の出した提案〔十一章九十二条〕は司令部にも米国本国も、また連合国極東委員会にも、いずれにも承認せらるべきものである。マ元帥はかねてから天皇の保持について深甚の考慮をめぐらしつつあったのであるが、日本政府がこの自分の出した対案のような憲法改正を〔世界に〕提示することは、右の目的を達成するために必要である。これがなければ、天皇の身体の保障をすることはできない。この提案と基本原則および根本形態を同じくする改正案を、速やかに作成し提出することを切望する、と言われました。そして二十分くらい庭を見てくるからその間に読んでくれ、といって向こうの人たちは寒い時でしたが庭に出ていきました」
すなわち「押しつけ」を強調したのである。
しかも、GHQ側の四人がポーチから庭におりたとき、爆撃機B25一機が低空で外相官邸の上を、爆音がガラス戸をびりびり揺るがして通り過ぎていった、というオマケまでがつくのである。それは演出なんかではない、とホイットニーは弁解したらしいが、話としてはすこぶるよくできている。もっとも、日本側のだれもがそれに気をとめることはなかった。
彼らはそんな劇的な脅しよりも二十一枚の文書に完膚ないほどの打撃を受けている。
それにしても、吉田も松本も、早々と観念したのであろうか。どうもそうは思えないところがある。天皇は国家の“シンボル”(象徴)とは、いったい何ぞや、と猛反発する。松本にいわせればこんなのは「文学的表現」であり、法にはなじまない。およそ「当方の考察と余りに懸隔大」なるものである。吉田も松本も最初は愕然となったが、それは瞬く間に激しい怒りに変わっていったのである。とくに、「シンボル」だの、「主権在民」だのという用語自体が、「君民共治」「君民一如」を理想とする帝国憲法の精神に根本から反している。それに、大日本帝国憲法は充分に民主的であり、過去に問題があったとするならば、それは軍人どもの誤った運用による、と考える松本は、これでは国体の変革になり、とうてい受容できない。ゆえに徹底抗戦をひそかに覚悟するのである。
十五分して白洲が呼びにいき、アメリカ側四人は戻ってきた。部屋に入るとき、この自信たっぷりの准将は芝居がかっていった。
「いやアトミック・ヒート(原子力的な光)のなかで日向ぼっこをしていたよ」
これをしも原子爆弾の圧倒的な威力を背景にした脅迫、とする説もあるがはたしてどんなものか。
そして、席についた米軍側に、松本がさっそくGHQ案にある一院制について質問し、その返答を聞きながら、「こいつらは憲法について素人だな」とひそかにほくそ笑んだ。そんなエピソードも交え、その後の四、五分間、日本側はGHQの真意を探ろうと情報の引き出しを図り、さらにGHQ案は日本の伝統にそぐわない非日本的なものだと突っ込んだりしている。
このとき、マーク・ゲイン『ニッポン日記』によれば、ホイットニーは冷然としていい放った、ということになる。
「最高司令官はこれ以外の案はいかなるものも考慮に入れないと断言している。ただし、このアメリカ側の草案の精神に反せぬかぎりの些細な修正には、喜んで応ずるであろうとも言っている。この草案を支持する用意が、日本政府にないというならば、マッカーサー元帥は諸君の頭の上を越えて直接に日本国民に訴えるであろう」
これが事実なら、日本側は脅迫にひとしい最後の啖呵の前に、ただ声を飲むほかはなかったことであろう。いかし「ラウレル文書」では、
「最高司令官は、……お望みなら、あなた方がこの案を最高司令官の完全な支持を受けた案として、そのまま国民に示されてもよい旨を伝えるよう、指示されました。もっとも、最高司令官は、このことをあなた方に要求されているのではありません。しかし最高司令官は、この案に示された諸原則を日本国民に示すべきであると確信しております。最高司令官は、できればあなた方がそうすることを望んでおります。が、もしあなた方がそうなされなければ、当方でそれを行なうつもりでおります」
となり、しかも冒頭の長広舌のときに、すでにこう説明しているというのである。
ともあれ、会談は、「よく読んで検討してから、日本政府の考えを申しのべます」という日本側の申し出をもって、十一時ちょっと回って終了した。歴史の急転はここからはじまる。……
以上のように、日本国憲法草案をめぐる会談がここ麻布市兵衛町の外相官邸あとであったわけですが、その面影は今は何も残ってはいません。ただ碑の周囲の植栽を風が揺らすだけです。
(文責:編集部MAO)
第19回 X氏ヒストリー 「M資金の奇々怪々」
Published on 2018/07/02 5:40
Category: フォトストーリー
Tags: ウィリアム・マーカット, 連合国軍最高司令官総司令部, M資金