第13回 X氏ヒストリー 「石橋湛山」 | GHQ.club

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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第13回
「石橋湛山」

 2017年8月9日付け「日刊ゲンダイ」に掲載された、『石橋湛山』(増田弘著、ミネルヴァ書房、3500円+税)の書評をまず紹介しよう。

 

「『体系だった理論と、徹底した合理主義、常識など意に介さない独創性、タフな精神力と溢れ出る熱情、いくつもの抽出しを持つスペシャリストでジェネラリスト……』
 45年にわたって湛山研究を続けてきた著者は、冒頭で、湛山の資質や人間的魅力を、語っても語り尽くせないかのように並べている。
 リベラリスト湛山は、ジャーナリスト、エコノミスト、政治家として、波乱の生涯を生きた。希代の論客の思想の全容と人生の軌跡を丁寧にたどった人物評伝。
 湛山は明治17年、日蓮宗の寺に生まれた。中学の校長が札幌農学校のクラーク博士に学んだ敬虔なキリスト教徒だったこともあり、少年時代から幅広い精神土壌を育んでいく。
 戦前は東洋経済新報社のジャーナリストとして、帝国主義的領土拡張路線、いわゆる『大日本主義』に反論、『小日本主義』を唱えた。
 言論弾圧に屈せず戦時体制を乗り切ると、戦後は国難に向き合うために政治の世界に入り、経済復興に力を尽くす。
 一方で、対米自立を主張してGHQや吉田茂を敵に回し、不当な公職追放の憂き目に遭った。
 追放解除後、鳩山内閣の通産大臣を務め、1956年、72歳で総理大臣の地位についたが、病気のため2ヵ月で退陣。『悲劇の宰相』と呼ばれた。
 回復後、脱冷戦を主張、『日中米ソ平和同盟』の実現を目指す。この活動は、田中角栄による日中国交回復につながった。
 湛山は歴史の激動期を生きながら、己を曲げず、反骨の生涯を貫いた。湛山が主張する『小日本主義』や『日中米ソ平和同盟』が実現していたら、日本は、世界は、別の道を歩めたかもしれない。今こそ、湛山の思想と行動に学ぶべきではないだろうか。」

 この石橋湛山については、NHK「歴史はその時動いた」でも取り上げている。


 これらは、中国の周恩来との会談までで、最後の部分はユーチューブにアップされていない。見たい方は、NHKオンデマンドに入会(有料)して、ご覧になってください。
 ここでは、NHKで2005年7月10日に放送された「あの人に会いたい 石橋湛山」を付け加えておく。