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ホテルニューグランド

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.43
「ホテルニューグランド」

 今回から、横浜めぐり。まずは、厚木飛行場にやってきたマッカーサーが横浜にきて、宿舎としたホテルニューグランドに向かうことにした。

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 私は東京の「渋谷」から東急東横線に乗車、「横浜」で乗りかえずとも、みなとみらい線に乗り入れていたので、そのまま進み、「元町・中華街」駅で下車した。地下道を数分戻り、「山下公園口」出口で外へ出た。ここから、左(西南方)へ歩けば「横浜中華街」に行けるのだが、私は右(北東方)へ向かった。2,3分で、ホテルニューグランド本館の横の入り口に着いたので、そのまま入っていくと、すぐ展示室があり、占領期のホテルの様子を伝える写真などが飾られていた。そこを左方向へ出れば、本館の正面玄関である。2階から階段があり、すぐに外へ出ることができた。


ホテル玄関を入ってすぐの階段と2階の大時計

 マッカーサー元帥は、1945年8月30日に厚木飛行場に到着し、直ちに横浜の宿舎となるホテルニューグランドに、ここから入った。彼の専用室にあてられたのは315号室で、横浜港に面した3階の部屋、彼は「気に入った」と副官に告げたそうだ。
 このホテルは、道をはさんで山下公園、そして今では氷川丸が係留されている横浜港が広がるところに位置していた。私は、ここを出て、通りを左に「山下公園中央口」信号まで進み、「山下公園」に入って行った。目の前に「日本郵船氷川丸」が係留されていて、多くの見物客たちが鈴なりになっていた。このとき、私は氷川丸に乗らず、他日を期し、公園を西の「赤い靴をはいてた女の子の像」がある方へ歩いていき、ちょっとして振り返るとホテルの姿が見えた。そして、海側に向かえば大桟橋ふ頭となる海岸通をまたいだプロムナードを通り、横浜税関ビル(当初、GHQが置かれた)に向かった。


  • 山下公園からホテルを振り返れば、
    新館の左側に本館が見える。
    さらに左側にマリンタワーがそびえる。

  • 氷川丸見物の観光客がいっぱい。

玄関と前の通り(後方は海岸通に続く)

 このホテルニューグランドの公式ホームページの「ヒストリー」によれば、以下の写真が掲載れている。


  • 本館玄関を出るマッカーサー元帥。周辺は焼け野原だった。
    どんな思いでそれを見たであろうか。(写真提供 株式会社 有隣堂)

  • 現在の “マッカーサーズスイート” 315号室。
    かつて戦後日本の歴史がここからつくられた。

  • サングラス、コーンパイプ、ノーネクタイ。
    その全てが珍しく、かつ憧れとなった。

 マッカーサーは、実は1937年にフィリピン軍事顧問として、当時のフィリピンのケソン大統領が訪米した際に随行して、その帰りに訪日したのだが、それは二度目の結婚相手ジーンを連れての新婚旅行でもあり、その時に泊ったのは、このホテルニューグランデだったのである。
 この縁のあるホテルに3日泊り、9月2日のミズーリ号での日本降伏調印式に出席した後、彼は宿泊施設として根岸の山の上にある元スタンダード石油の支社長C・マイヤーズ邸を使ったという。そして、そこから9月8日に入京式を行うため、東京に入っている。
 そして、マッカーサーがいなくなってから、ホテルは全館、アメリカ第八軍の将校の宿舎になっている、という。

 

(文責:編集部MAO)