HOME > フォトストーリー > フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.30 「かつての明石国民学校は米軍宿舎に」
PHOTO STORY写真に隠された真実
- STORY.30
- 「かつての明石国民学校は米軍宿舎に」
今回の散歩は、地下鉄日比谷線「築地駅」で、築地本願寺とは新大橋通りを挟んで反対側の出口に出た。そこを築地2丁目方向へ戻り、すぐに左の路地に50メートルほど入った11番地に「築地小劇場跡の碑」がひっそりとあった。里見弴の碑文によれば、土方与志と小山内薫が関東大震災後の1924年6月13日に開設した日本初の新劇の常設劇場である築地小劇場は、ここにあったが、1945年3月10日の東京大空襲で焼失したとある。だが、誰一人立ち止まる人はいないようであった。
hidden story
築地小劇場の碑
私もすぐに新大橋通りに戻り、八丁堀の方へ進み、最初の信号を右に渡り(通りを横断し)、まっすぐに築地川公園に出た。この辺に芥川龍之介が生まれたという碑があり、右の聖路加看護大学の入口を越えて、すぐ右へ曲ると、1,2分で「明石小学校」があり、併殺された幼稚園の児童がたくさん集っていた。ヘンス越しにシャッターを押しながら進むと、角にはこの辺が築地居留地だったと説明する碑があり、居留地中央通りにぶつかった。
かつて1908年に建てられたこの小学校の木造校舎は、関東大震災で全面焼失してしまった。それが、1925年に鉄筋コンクリート製校舎として生まれ変わり、1941年4月には東京府東京市明石国民学校に改称していた。
ちなみに、関東大震災で東京市の全195校の約3分の2が倒壊・消失しており、そのため、東京市は復興事業の一環として、鉄筋コンクリート建築の統一規格で再建しており、その117校を「復興小学校」と総称している。その代表的な1校がこの明石国民学校というわけである。その姿を今も残しているのである。
しかし、建て替えようとする動きに反対する声があがっているとも聞くが、何も感じられないほど、閑静であった。
しかし、占領期を振り返ってみよう。
ここは、戦後まもない1945年9月に米軍に接収され、宿舎「コンチネンタル・ホテル」として使用された。解除されたのは1952年7月で、現在は中央区立明石小学校になっているというわけである。
中央区立明石小学校
明石小学校の正面玄関にある校章
ネットで、「中央区の地名の由来」を検索すると、「敗戦後のアメリカ軍の占領」という項があり、以下のような記述が見られる。
「第一騎兵師団の東京進駐に伴って、都内各地の焼け残ったビルや邸宅が接収占領されることになった。彼等の無差別空爆で甚大な打撃を受け、極端な建物不足に悩まされていた折柄これは大変な問題だった。特にこの区の如きは都心の要衝にあった関係上、非戦災の大ビルが続々と狙われる始末で、占領初日の9月8日朝方に月島4号地(豊海町)が先ず接収されて通信部隊の無線基地となった外、9月9日明石国民学校が占領軍宿舎コンチネンタル・ホテルとなり、同12日には聖路加病院、17日には明石町会員救済会館が接収されて共にアメリカの陸軍病院となった。また小田原町の海軍経理学校校舎もご他聞に漏れず、敵国アメリカ合衆国の国旗『星条旗」が翩翻と翻った。続いて土地建物の接収が区内各地で行われ、結局同23年までに建物40件、土地12件が強奪されて占領米軍の施設となった。
アメリカ軍による区内の占領土地建物一覧
- 1 小倉ビル
- 20~24年 PX(売店)
- 2 東京銀行
- 20~25年 極東海軍司令部
- 3 野村銀行
- 20~27年 リバービュー・ホテル
- 4 国分ビル
- 21~27年 CPC
- 5 八重洲ホテル
- 21~23年 Q・M・給油所
- 6 白木屋百貨店
- 21~27年 白木屋PX
- 7 ヤナセ自動車
- 20~24年 極東海軍司令部
- 8 千代田銀行車庫
- 22~28年 Q・M・給油所
- 9 加賀ビル
- 23~26年 USハウス
- 10 東京小型自動車
- 21~ 極東海軍維持管理事務所
- 11 本町アパート
- 21~28年 中央購買部
- 12 三井本館
- 20~27年 GHQ外交部
- 13 東京証券取引所
- 21~27年 エクスチェンジ・ホテル
- 14 渋沢倉庫
- 21~29年 中央購買部
- 15 山一證券車庫
- 21~ 中央購買部
- 16 三井倉庫
- 22~27年 中央購買部
- 17 松屋銀座店
- 20~27年 松屋PX
- 18 服部時計店本店
- 21~27年 東京PX
- 19 銀座商館
- 20~24年 通信基地
- 20 松田ビル
- 20~32年 東京電気ビル
- 21 黒澤ビル
- 21~27年 アメリカ赤十字
- 22 後藤勇太郎
- 21~27年 USハウス119
- 23 日本製鉄別館
- 20~30年 東京陸軍病院附属施設
- 24 蓬莱館配給所
- 20~26年 Q・M・給油所
- 25 木村屋工場
- 21~23年 Q・M・給油所
- 26 海軍経理学校
- 20~ キャンプ・バーネス
- 27 日本冷蔵
- 23~24年 GHQ洗濯工場
- 28 中央卸売り市場
- 20~30年 GHQ洗濯工場
- 29 都立築地病院(旧海軍病院)
- 20~ 東京陸軍病院別館
- 30 明石ガレージ
- 20~28年 リバービュー・ホテル
- 31 聖路加病院旧館
- 20~28年 東京陸軍病院
- 32 明石国民学校
- 20~28年 コンチネンタル・ホテル
- 33 日本会員救済会館
- 20~27年 東京陸軍病院
- 34 聖路加病院
- 20~31年 東京陸軍病院
- 35 味の素ビル
- 21~30年 コンチネンタル・ホテル
- 36 近藤商事
- 21~30年 リバービュー・ホテル
- 37 三菱倉庫
- 21~27年 PX
- 38 伊藤和吉邸
- 23~27年 USハウス
- 39 乾倉庫
- 21~??年 東京陸軍病院倉庫
- 40 中央食糧営団倉庫
- 20~31年 GHQ洗濯工場
- 41 浜町倉庫
- 21~25年 USハウス
- 42 月島4号地(豊海町)
- 20~??年 通信基地
- 43 本石町土地
- 22~27年 倉庫用地
- 44 通1丁目土地
- 21~27年 駐車場
- 45 通3丁目土地
- 20~24年 駐車場
- 46 兜町1丁目土地
- 22~23年 駐車場
- 47 新川2丁目土地
- 21~27年 極東海軍作業所
- 48 人形町2丁目土地
- 21~23年 衛生施設
- 49 銀座3丁目土地
- 22~27年 駐車場
- 50 銀座4丁目土地
- 21~27年 駐車場
- 51 銀座6丁目土地
- 21~24年 衛生施設
- 52 木挽町3丁目土地
- 21~23年 駐車場
中央区は、こうして「アメリカ村」として米軍のGIや将校らが跋扈する地になったのである。これから、聖路加国際病院や国立がんセンター、今話題の築地市場の方へ歩いて行って見たい。
(文責:編集部MAO)
第19回 X氏ヒストリー 「M資金の奇々怪々」
Published on 2018/07/02 5:40
Category: フォトストーリー
Tags: ウィリアム・マーカット, 連合国軍最高司令官総司令部, M資金
第17回 X氏ヒストリー フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.50 「日本国憲法草案審議の地」
Published on 2018/06/01 10:00
Category: フォトストーリー
Tags: 吉田茂, 日本国憲法草案審議の地