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PHOTO STORY写真に隠された真実
- STORY.29
- 同愛記念病院
かつて境内に旧国技館(GHQに接収されてメモリアルホール)のあった回向院を出て、北上、総武線の線路をくぐって、今の両国国技館前に出るや、大勢の関取りが歩き、内外の観光客がたむろしていた。そこを過ぎれば、旧安田庭園で、なかに入れば、池越しに同愛記念病院、そしてスカイツリーが目の前に現れる。
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そこで、隅田川と公園の間の道をさらに北上してすぐに病院横の通りを右に入れば、建物は直ぐに切れるので左に入れば、病院の正門である。ここをぬけて、蔵前橋通りを左に回れば、隅田川に架かる蔵前橋である。ここを渡ったところに、蔵前国技館あと(今は水処理センター)がある。
わたしは渡らず、川べりを南下、国技館前を再び通って、両国駅に戻り、総武線を新宿方面に帰って行った。
隅田川沿いの通りから
同愛記念病院脇の通りへ
同愛記念病院の正門
さて、関東大震災の際にアメリカから寄せられた義援金の一部で建設され、当時都内最大の病院であったためか、戦後GHQに接収され、「361病院」と称された同愛記念病院についてである。数年前の2013年2月8日号「週刊ポスト」に、「秘史発掘スクープ」「『青い目の赤ひげ』が初めて語った『A級戦犯専用病棟』の真実」と題して、野村旗守(ジャーナリスト)の記事が掲載されている。ここでいう、「A級戦犯専用病棟」というのは、東京・両国にある同愛記念病院のことで、そこは、45年10月から55年10月17日までGHQに接収され、その間、A級戦犯を含む多数の日本人戦犯患者を治療したという。正式には、「米陸軍第361野戦病院」と呼ばれた。
この記事を紹介しよう。「青い目の赤ひげ」とは、ここに勤務していたユージーン・アクセノフという老医師のことで、「誰か、夜中に病室からすすり泣く声が聴こえた。昨日まで日本の英雄だった人たちが囚われの身となって若いGIに小突き回されているのは哀れだった。A級戦犯の顔を知らない米兵たちが、彼らを怒鳴ったり蹴ったりしていた」とか、「(病室には小さな窓があり、そこから隅田川が見えた。)薄暗くなると、赤いスカートを穿いた日本の女がアメリカのGIの太い腕に絡み付いて通りすぎてゆく場面もあった。その夜、あんなに偉かった軍人たちが涙を流していた」などと証言したそうだ。
具体的に上げられた戦犯については、こうだ。まず、「南京事件」の主導者として処刑された松井石根・陸軍大将。
「中支総司令官という割には小さな人だった。温和で気さくで、とてもいいおじちゃんだった。ユーモアもあり、知識も豊富で、自分は非常に尊敬していた。他の戦犯たちが身の潔白を証明しようと必死で裁判に臨むなか、松井だけは超然としていた。淡々と死刑になるのを待っているようだった。仏のような、とてもいい笑顔をしていた。彼は361病院に入院していた時間がもっとも長かった戦犯の1人だ。老衰と脳梅で、処刑を前にしてもう手の施しようがなかった」
それから、「色んな国の女性と遊んだが、中国の女性には指一本触れていない。……その自分が幼女から老女まで中国の女性を強姦し尽くした南京大虐殺の首謀者であるとは、まったくもって酷い。これはパラドックスだ」と苦笑していたそうだ。
唯一、民間人のA級戦犯として逮捕された思想家、大川周明。
「東條のハゲ頭をひっぱたいた面白いおじさんだということで、アメリカ人の医者たちの間でも話題になった。世田谷(の都立松沢病院)に移送される車に私も同乗した。松沢病院では奥さんが待っていて、どこで手に入れたのか、牛肉を用意して手作りのすき焼きを作ってくれ、私もご相伴にあずかった。ささがきゴボウの入った珍しいすき焼きだった」
アメリカ人医師たちもアクセノフ青年も「詐病」と見ていた。アレクセフは度々松沢病院を訪ね、「お元気ですか」「お名前は?」「今日は何日ですか」と質問すると、大川は「あなた、私をキチガイだと思っているのでしょう?」と反問したという。
国際連盟脱退で名を馳せた元外相の松岡洋右。
アクセノフの「あなたは英語もできるし、米国の力をよくわかっていたはずだ。それなのになぜ米国との戦争を止めなかったのか?」という質問に、「私はよく米国批判をしたけれど、決して米国を憎んでいたのではない。しかし、もう戦争以外日本の生きる道はなかったんだ。人はその日一日、財布の中身を考えて、今日は何をやろうか、どこへ行こうか決めるだろう? 私はその当時、日本の財布を預かっていたようなものだった。財布の中身を覗きこんだら、もう空っぽだった。ABCD包囲網に囲まれて、石油もない、食糧もない、鉄もない……。このまま行くと国ごと餓死するしかなかった。戦争以外、ほかに方法はなかったんだ……」と答えたそうだ。また、モスクワで会ったことのあるスターリンについて、「すごい小さい人だったのでびっくりした。背を高く見せるよう、踵の高い靴を履いていたんだ」と教えてくれたそうだ。彼は衰弱が激しく、最後は東大病院に移送され、判決の前に死去している。
361病院で入院中に死亡した記録の残る東郷茂徳。禁錮20年を言い渡された彼は、動脈硬化性心疾患、及び急性胆嚢炎の併発で死亡している。「戦犯患者はすべて丸刈りという米軍からの指示があったにも拘らず、ただ一人東郷のみが頑として応じなかったのを憶えている」という。
巣鴨プリズンの教誨師の花山信勝が361病院に入院していたという東條英機についても、聞いてみたが、彼については、「見かけたことはあるが、個人的にはあまりよく知らない」というだけで、話したくないという意思を示したという。
同記事では、「他にも、癌で衰弱しきり、いつも無言のままマットレスの上で膝を抱えて震えていた元関東軍総司令官の梅津美次郎、病院にいながら異様に威勢がよく、『外交特権を持つ自分を裁くのは国際法違反だ。自分は無罪だ』といつも英語でまくし立てていた元イタリア大使の白鳥敏夫、『君は語学の天才だ』と誉めてくれた元首相の小磯国昭など」がいたという。
アクセノフは今や、90歳を越え、消息は不明、もう証言者はいないのではないだろうか。
旧安田公園から同愛記念病院を望む
(文責:編集部MAO)
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Published on 2018/07/02 5:40
Category: フォトストーリー
Tags: ウィリアム・マーカット, 連合国軍最高司令官総司令部, M資金
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Published on 2018/06/01 10:00
Category: フォトストーリー
Tags: 吉田茂, 日本国憲法草案審議の地