HOME > フォトストーリー > フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.26 「ビヤホール・ライオンは今日も盛況であった!」
PHOTO STORY写真に隠された真実
- STORY.26
- 「ビヤホール・ライオンは
今日も盛況であった!」
私は都内、相手は千葉、そこで打ち合わせは、銀座のビヤホール・ライオン銀座七丁目店で、ビールで盃をあげながら、ということになった。時は、8月の暑いさなかだったので、喉もなめらかでアイデアが次々出てきて、快調であった。
hidden story
ところで、1階の奥のテーブルに案内され、よく知られる図柄のタイル絵を仰ぐ位置に座れて、ラッキーであった。ここは、占領軍専用のビヤホールとして、戦戦後まもなくに営業再開したところだったからだ。
銀座ライオンのHP会社案内の「歴史・沿革」を見れば、ここは1934年に竣工、4月に営業を開始、店内の様子はそれから全く変わっていないそうだ。1945年9月11日には、占領軍専用ビヤホールとして再開しているが、それでも佇まいは変化してないというので、当時を想像するには、格好の場所というわけだ。
以下、銀座ライオンのHPを掲載する。
「昭和9年4月8日
現存する最古のビヤホール「ビヤホールライオン銀座七丁目店」が開店
▲昭和9年竣工当時
大日本麦酒(株)本社ビルとして、菅原栄蔵氏の設計により昭和9年4月8日に竣工。1階は「銀座ビヤホール」として4月26日より営業を開始しました。 この1階のビヤホールは開業以来、全く変わらぬ佇まいのまま「ビヤホールライオン銀座七丁目店」として現在に至ります。」
「昭和20年9月11日
「銀座ビヤホール」(現ビヤホールライオン銀座七丁目店)が進駐軍専用ビヤホールとして営業再開。
▲当時の「銀座ビヤホール」
昭和20年8月15日終戦。戦時中の空襲のため、ほとんどのビヤホールは焼失または疎開のために取り壊しており、わずか「銀座ビヤホール」と「横浜ビヤホール」だけが空襲を免れ、「銀座ビヤホール」はこの年の9月11日より、進駐軍専用ビヤホールとしての営業となり、昭和26年12月31日まで一般の人々は入れませんでした」
ついでに付言すれば、隣接する松坂屋の地下には、1945年8月設立のRAA(特殊慰安施設協会)のキャバレー「オアシス・オブ・ギンザ」があった。そこは45年11月2日にオープンしたというから、このビヤホールにやや遅れたことになる。高見順の日記には地下3階にあり、そこへの降り口には「連合軍軍隊ニ限ル」と貼り紙があったという。
また、隣の中華料理屋「幸楽」にはRAAの本部事務所が置かれていたそうだ。
ライオン銀座の店内
お客に外人客も混じる
(文責:編集部MAO)
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Category: フォトストーリー
Tags: ウィリアム・マーカット, 連合国軍最高司令官総司令部, M資金
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Published on 2018/06/01 10:00
Category: フォトストーリー
Tags: 吉田茂, 日本国憲法草案審議の地