HOME > フォトストーリー > フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.25 「旧岩崎邸はGHQキャノン機関の活動拠点だった」
PHOTO STORY写真に隠された真実
- STORY.25
- 「旧岩崎邸はGHQキャノン機関の
活動拠点だった」
思い立ったが吉日、この頃、三菱系の三菱地所や東京海上の社史を読み耽っていたので、急に地下鉄千代田線「湯島駅」で降りたち、出て徒歩3分ほどの台東区池之端、つまり上野の不忍池に近いところにある旧岩崎邸に出かけていった。ここは今や都立庭園としてきれいに整備されている。
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三菱財閥三代目の岩崎久弥(父が創業者の岩崎弥太郎。1916年にいとこの岩崎小弥太に社長を譲るまで三菱財閥を率いていた)がJ・コンドルに設計を依頼、この木造地上2階地下室付きの洋館は1896年に完成している。同じくコンドル設計のスイスの山小屋風の撞球室(ビリヤード室)が向かって左側に建てられ、地下通路でつながっている。迎賓館としての洋館の右裏側には、生活空間としての和館が建てられている。
岩崎邸本館
岩崎邸撞球室
撞球室内部
たまたま11時前に着いたため、ガイド付きツアーに参加した。幸運のアーカンサス模様(表彰状や紙幣の模様によく使われている)をあっちこっちに使用していることや、2階に続く空中階段の見事さ(それに支柱をつくってしまった小役人の愚かさ)など、説明を聞いいたり、ビリヤード室への地下通路に外光を取り入れる見事な工夫を知るにおよび、感心することしきり。また、本館順路途中に飾ってある久弥一家の写真の説明を受ける。娘の美喜は、アリザベス・サンダースホームを創設し、2000人以上の混血孤児を育て上げた澤田美喜なのであった。
ここは1947年に財産税の物納として国有財産化され、岩崎一家は1948年に冨里へ転居している。それまで、彼らはここで生活していたわけである。1953年に日本政府に返還されている。
だが、洋館は戦後接収され、GHQ参謀2部(G2)傘下の秘密工作諜報機関「Zユニット」(本郷機関とも呼ばれる。マスコミはキャノン機関と通称していた)の活動拠点であった。キャノン機関は26人のメンバーから成り、1952年初めに解散されている。
悪名をとどろかせたのは、1951年に散歩中の作家の鹿地亘を不法拉致・監禁、彼が52年に解放されて事件が発覚した。
その舞台がここだったわけだが、ツアーのガイドさんによれば、貴重な壁紙をペンキで塗りたくってしまったという。わずかに残っていた壁紙を修復して、もとのままに修復しているから、今は豪華華麗であり、当時をしのばせてくれている。アメリカ人は何でもかんでもペンキで塗るのがお好きのようだ。
さて、それから外に出て、ビリヤード室に向い、外の庭園から和館のほうをのぞんだ。その向こうには東大付属病院がのぞめるが、占領時のことを考え、米軍が空襲を避けたというから、主なき岩崎邸は誰に感謝すればいいのだろうか。
岩崎邸の和館
岩崎邸和館の内庭
(文責:編集部MAO)
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Category: フォトストーリー
Tags: ウィリアム・マーカット, 連合国軍最高司令官総司令部, M資金
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Category: フォトストーリー
Tags: 吉田茂, 日本国憲法草案審議の地