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銀座東急プラザの履歴書

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.18
銀座東急プラザの履歴書

 先日、ある仲間との飲み会をオープンしたばかりの銀座東急プラザで行った。

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 まず、どこにあるかの場所を確定しておこう。晴海通り(東西方向)と外堀通り(南北方向)の交差点に数寄屋橋交番があり、その脇に地下鉄「丸の内線」銀座駅の出口があるので、そこから出てくると銀座東急プラザは目の前である。今回の写真もこちら側からパチリと撮影したもの。

東急プラザ銀座(数寄屋橋交番方向から)
東急プラザ銀座(数寄屋橋交番方向から)

 この交差点の南東角に立つのが今回の目的である東急プラザで、北東角にはソニービルがある。そして、東急プラザの西隣には、前回紹介した数寄屋橋公園がある。この前来た時には改修工事中だったが、今やそれも成ってきれいになっていた。囲いの隙間から撮影することもなく堂々と晴海通り側から全貌をカメラに収めてきたので、それも紹介しておく。

改修が終わった数寄屋公園(晴海通りから)
改修が終わった数寄屋公園(晴海通りから)

 さて、東急プラザには、外堀通り沿いにしつらえてあるエスカレーターで3階まであがり、店内をぶらつきながら10階へ行って目的のスペインレストランで大いに飲みかつ食べた。やはり銀座にオープンしたばかりとあって人出はすごかった。
 では、この建物の履歴書をひもといておこう。まず1934年に、ここ数寄屋橋畔にマツダビルディングが竣工、東京電気(のちに東芝)が入居する。マツダの名は、大正から昭和にかけて広く親しまれてきた、東芝の母体の一つである東京電気の主力製品の呼称「マツダランプ」からとっている。その名も、1943年8月11日には、戦局深まり、英語が敵性語として排斥されるようになって、「東芝館」と改称される。
 しかし、敗戦、占領軍がやってくるや、焼け残ったこの建物は接収され、極東空軍宿舎、将校用会食場、ドル交換所に転用された。そして講和後の1956年に接収解除される。この東芝ビルの解除を最後に銀座地区は復興の道へと進んでいった。
 その後、数寄屋橋阪急、モザイク銀座阪急など、あるいは旭屋書店が1階に入居していたが、このたび銀座東急プラザとして新しくお目見えしたというわけである。

 

 

(文責:編集部MAO)