フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.15 かつて浮浪児たちがたむろしていた上野駅地下道 | GHQ.club

GHQ CLUB. あの日あなたは何をしていましたか? あなたにとってGHQとは?

HOME > フォトストーリー > フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.15 かつて浮浪児たちがたむろしていた上野駅地下道

かつて浮浪児たちがたむろしていた上野駅地下道

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.15
かつて浮浪児たちがたむろしていた
上野駅地下道

 3月下旬のある日、日本で一番古い地下鉄銀座線で「上野駅」に向かった。上野公園の桜の開花はまだ早く、その桜を見るためではない。敗戦後、戦災孤児たちなどが浮浪者となって屯ろしていた同駅の地下道は今、ということで、カメラを持って出かけたのである。

hidden story

 

 地下鉄銀座線の上野駅を降りて、「上野公園」方向に向かうとすぐあって、JR「上野駅」不忍口までコインロッカーが並ぶ地下道が続いているが、ここである。
 敗戦直後当時、戦災孤児は12万人もいたというが、「戦争孤児たちの遺言 地獄を生きた70年」というドキュメント https://youtu.be/xxEQBznTAqs
を見ると、彼らの悲痛な証言に胸が痛む。彼の声に耳を傾け、心に刻み、」忘れてはならないだろう。
 占領政策を遂行するGHQにとっても、その成否を問う頭の痛い問題だったようだ。マッカーサーはフラナガン神父に視察を要請、何らかの提言を求めた。神父は、1912年にネブラスカ州オマハに「少年の町」という更正自立支援施設を作ったことで知られていたからだ。そこで、彼は1947年4月28日に来日、GHQのPHW(公衆衛生福祉局)の支援で、全国各地の児童施設などを視察している。そして、5月29日から6月5日には韓国を訪れ、その後日本に戻り、6月13日に帰国の途についている。
 この神父来日をきっかけにGHQのCIE(民間情報教育局)からNHKに浮浪児救済キャンペーンのためのラジオドラマを製作するように指示があった。それが「鐘の鳴る丘」である。菊田一夫が脚本を担当し、彼の作詞、古関裕而作曲の主題歌「とんがり帽子」は川田正子、ゆりかご会によって歌われ一世を風靡、大ヒットした。さらに1948年の選抜高校野球大会の入場行進曲にもなった。
 そして、このラジオドラマに影響され、品川博が私財をなげうって、群馬県前橋市に「鐘の鳴る丘少年の家」をつくるに至ったエピソードなどについて、ドキュメントしたテレビ番組 https://youtu.be/qjAQQLjcEDc もある。ここでは、上野駅の当時の映像が流されている。
 もう一つ、浮浪児に関し、当時のエピソードを紹介しておく。
 1943年に松竹を追放された映画監督の清水宏による「蜂の巣映画」のことである。彼は一時隠遁を噂されたが、戦災孤児たちを引き取り育てながら、1948年に独立プロ「蜂の巣映画」を立ち上げ、孤児たちを主人公に「蜂の巣の子供たち」(1948年)「その後の蜂の巣の子供たち」(1951年)などを作って、評判になった。
 ちなみに「蜂の巣の子供たち」は独立プロの嚆矢として知られている。これは
https://youtu.be/lAEFX-sjNPs で見ることができる。実際の孤児たちが演じているので、それなりに感動するはずだ。

 

  • 上野駅正面
    上野駅正面
  • 写真左側の一本の木の裏側が地下道入口になる
    写真左側の一本の木の裏側が地下道入口になる
  • 上野駅地下道入口
    上野駅地下道入口
  • 上野駅地下道出口に向かって
    上野駅地下道出口に向かって

 

(文責:編集部MAO)