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駒場公園にある前田利為侯爵の本邸_和館

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.11
駒場公園にある
前田利為侯爵の本邸、和館

 占領軍に接収された前田利為侯爵邸のある目黒区駒場公園を散策してきた。

hidden story

 

 私は山手通りのバス邸「東大裏」で降り、西へ徒歩で10分もしないうちに、「上原二丁目」の信号をすぎるとすぐ、駒場公園の正面(北門である)に着いた。
 そこから、こんもりと茂る林の中を進むと、すぐ木漏れ陽の中に洋館が見えてくる。その洋館が前田邸で、左の方(東側)行けば、和館がある。
 この本邸は、加賀藩前田家の第16代当主、前田利為(としなり)の屋敷である。
 本郷の赤門に名残りをとどめるキャンパスを拡張するため、土地を東京帝国大学に譲る代わりに、目黒区駒場の東京帝国大学農学部の実習地4万坪を代替地としてもらい、ここに1929年に洋館を竣工、翌30年には裏手に迎賓施設として和館を竣工している。当時、100人もの使用人が住んでいて「東洋一の邸宅」と称されたという。
 前田利為侯爵は、1942年にボルネオ方面司令官として派遣され、飛行機事故で死亡、一家はこの洋館から他へ移り、中島飛行機の本社が疎開してくる。
 敗戦後には、45年9月に占領軍に接収され、第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸になり(当初、マッカーサーの公邸となる予定だった)、51年4月からは(マッカーサーの後任)GHQ総司令官リッジウェイの官邸になっている。56年に和館及び一部の土地は国有となり、翌57年、ようやく接収解除となった。
 この本邸の内部を、私も公開されているので見学。管理人さんに話を聞くと、窓の外に見える松の木のところが、星条旗の掲揚台がつくられた跡とのこと。ここはGHQのオフィスとして使用されたようだが、1・2階に公爵夫婦の寝室や会議室、食堂、書斎、女中部屋がいくつもあった。しかし、GHQがどう使用したかはわからない。この本邸の裏には、和館があり、そこは彼らの私邸として使われたというが、それへの廊下は現在閉ざされているので、いったん外へ出た。 本邸の左側を(駒場公園の)東門に向かうと、和館があり、そこも公開されているので、中に入ってみる。内部は書院造の純日本風なので、接収した米人たちは、畳の上にカーペットを敷いて暮らしたのだろうか。
 この和館の前の東門に出る通路をはさんで隣には、財団法人・日本近代文学館が建っている。
 この本邸の様子については、前田利為侯爵の長女・酒井美意子さんが書かれている『ある華族の昭和史―上流社会の明暗を見た女の記録』(主婦と生活社の単行本、講談社文庫)の文章や、『写真集 酒井美意子 華族の肖像』(清流出版)の写真でうかがうことができるだろう。

 さて、帰路は、駒場公園の南門から駒場通りに出て、まっすぐ南下すれば、京王井の頭線にぶつかり、線路沿いを「駒場東大前駅」に出ることができる。そこで、井の頭線に乗れば、すぐ渋谷駅である。

  • 前田侯爵邸
    前田侯爵邸
  • 前田邸和館
    前田邸和館
星条旗掲揚台跡
星条旗掲揚台跡

 

(文責:編集部MAO)