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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第22回
「菅原都々子さん」

 敗戦直後の1945年大晦日に『紅白音楽試合』(非公開のラジオ番組)が放送された。当初は『紅白音楽合戦』の番組名で放送する予定でしたが、GHQが「敗戦国がバトルとは何事だ」との判断を下し、仕方なく、バトルから試合という意味のマッチに変えたという。勝敗の判定はなく、審査員も応援団に相当する者も存在しなかった。当時は大晦日に終夜電車はなく、終電に間に合わない歌手はNHK東京放送会館の音楽部の部屋の椅子でざこ寝だったそうです。大ヒットした「リンゴの唄」で同年の新人・並木路子がベテラン勢と肩を並べて出場しています。この事実上の第1回の放送は大みそかの22時20分― 24時00分(元日0時)放送で「年越し番組」でした。午前0時からは『除夜の鐘』が放送され、これが『ゆく年くる年』の原型となりました。
 1946年以降、大みそか番組として『紅白音楽試合』は編成されませんでした。しかし、NHKでは『紅白音楽試合』の反響の凄さを忘れられず、約5年後の1951年の正月1月3日に『第1回NHK紅白歌合戦』を放送しました。この1951年においては、対抗戦形式を意識し、紅組キャプテンの渡辺はま子、白組キャプテンの藤山一郎がそれぞれ相手の出方を見ながら誰に何を歌わせるかを決めるというものでした。
 この時、先攻トップバッターに選ばれたのが初出場の菅原都々子で、「憬れの住む町」を歌い、歌唱第一号の歌手となりました。この後、1951年3月には、「憬れは馬車に乗って」を。1955年4月には大ヒットした「月がとっても青いから」を発表しています。現在は91歳で、今年の8月18日放送のNHK「第50回思い出のメロディー」に元気に出演され、歌声を披露していました。
 ここで、菅原都々子の歌声をアップしておきます。

「憧れの住む町」

「憬れは馬車に乗って」

「月がとっても青いから」

歌い継がれる「月がとっても青いから」