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INTERVIEW日本占領の時代について話を聞く
- VOL.1
- 北野邦彦さん
「とうとう戦争が終わったのよ」と言う
母親の話にホッとして、
青い空を見上げたことを
はっきりと覚えています。
ここでは、当時を経験し、
その時代の空気を吸っていた人からの経験談に耳を傾けていきます。
第1回は、「第一生命館でマッカーサーを見た」という
北野邦彦さん(PRコンサルタント、もと帝京大学教授、電通)からお話を聞きます。
eyewitness
都心に近づくにしたがって、
焼け跡がどんどんと広がって行きました。
印象的だったのは、焼け残った金庫の数の多さでした。
―「日本の一番長い日」とも言われる、ポツダム宣言受諾、玉音レコード盤争奪をめぐるクーデター騒ぎ(いわゆる宮城事件)の一九四五年八月一五日前後の記憶をたどってみてください。
北野:昭和天皇の「終戦の詔勅」が、八月一五日正午にラジオで放送されました。当時の私は国民学校(一九四七年から小学校となります)二年生でした。家族全員で客間に置かれたラジオから流れてくる天皇の肉声を生まれてはじめて聞きました。夏の暑いさなか、アブラゼミの鳴き声と一緒に聞こえてくる現人神(アラヒトガミ)の声の内容を理解することは、二年生の私には困難でしたが、「とうとう戦争が終わったのよ」と言う母親の話にホッとして、青い空を見上げたことをはっきりと覚えています。それまでは、半年以上、大型爆撃機のB29や艦載機が関東地方に毎日のように飛来し、その度ごとに身を縮めて、カビの匂いのこもった、狭くて湿った防空壕に潜んでいたのですから。
当時私は東京都三鷹町に住んでいましたが、三~四キロ離れたところに中島飛行機武蔵工場があり、B29の恰好の標的になっていました。当時最大の1トン爆弾を投下するのですが、爆弾投下の衝撃はものすごく、三~四キロ3~4キロ離れていても体中にズシンと重く響きました。
一万メートルの高高度で飛来するB29に日本陸軍の小さな戦闘機が体当たりしていく様も目撃しました。撃墜されたB29の残骸を、杉並区の久我山まで見に行ったこともあります。二階の屋根より高くそびえる尾翼の残骸がとても印象的でした。
玉音放送のあった翌週、八月二四~二五日頃、母親が宮城(皇居)に連れて行ってくれました。
中央線三鷹駅から省線(今のJR)に乗り、東京駅まで行くのですが、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野と都心に近づくにしたがって、焼け跡がどんどんと広がって行きました。印象的だったのは、焼け残った金庫の数の多さでした。
東京駅から宮城まで歩いていったんですが、その道は玉砂利で歩きにくく、しかも真夏の太陽にじりじり焼かれ、汗だくでやっとたどり着いたという記憶です。皇居前広場では、玉砂利の上でひざまずいている人が多く見られました。
東京大空襲翌朝の東京
1945年3月10日10:40/アメリカ空軍第3写真偵察戦隊撮影
撮影高度30,000フィート(約9,100m)
写真提供:一般財団法人 日本地図センター
マッカーサー元帥といえば、天皇より偉い人だ。
見られるものなら是非見てみたいと思ったのです。
―マッカーサー元帥の姿を見に行ったことがあったようですね。
北野:ええ。ありました。一九四六年、当時中学生だった兄に、「マッカーサーを見に行こう」と誘われ、お濠端で、しかも日比谷交差点の隣りにある第一生命館まで出かけて行きました。
マッカーサー元帥といえば、天皇より偉い人だ。見られるものなら是非見てみたいと思ったのです。
一九四五年九月二九日に各紙に掲載された、マッカーサー元帥と天皇の並んだ写真は、私など小学生を含め、日本国民全員に与えた衝撃は、実に大きなものでした。アメリカ大使館に天皇が出向き、マッカーサー元帥と並んで写された写真を、私も見ましたが、天皇がモーニングで正装しているのに、マッカーサーは略式軍装でネクタイも締めていない。そのうえ、両手は腰に当ててリラックスしている。やはり日本では、マッカーサーが最上位に位置する人物なのだと思いましたし、日本国中のだれもがそうでしたね。
そのマッカーサーをこの目で見ることができるというのです。絶対に行かない手はありません。戦時中、日本国民は天皇を直視することが許されませんでした。天皇が通りすぎるまで、顔を上げずに最敬礼を続けなければならないと教えられたものです。その天皇の上位者であるマッカーサーを間近に直視できるというのです。子供心にも胸が躍りました。
この第一生命のビルには、GHQ(連合国総司令部)の本部とマッカーサー元帥の執務室が置かれ、マッカーサー元帥は、毎日昼になるとGHQ本部から虎ノ門の米国大使公邸に戻り、公邸で昼食を取ることになっており、その日課を崩すことがないので、その時、マッカーサーを見ることができるというのです。
そのことが新聞で報道されたのでしょう。兄と一緒にマッカーサー元帥を見に、三鷹から一時間以上かけて、日比谷まで出かけました。GHQに到着すると、あたりは同じ目的の日本人たちで一杯でした。どれくらい待ったでしょうか、略装に元帥帽をかぶったマッカーサー元帥が颯爽と石段を下り、大きな黒塗りのアメ車に乗り込み、あっという間にその姿は虎ノ門方面に消えて行きました。この光景は、今でも目に焼きついています
現在の第一生命館ビル
マッカーサー元帥
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プロフィール:北野 邦彦(きたの くにひこ)
略歴:1937年東京生まれ。
早稲田大学商学部卒。
電通広報室長を経て、帝京大学文学部社会学科教授、
現在PRコンサルタント。