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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第12回
「石原莞爾」

 満州事変(1931年)の首謀者で、「帝国陸軍の異端児」石原莞爾(1889~1949年)は、戦犯指定を免れ、極東国際軍事裁判(東京裁判)では、証人として山形県酒田の出張法廷に出廷している。そして、1949年8月15日に没しているのだが、その直前に、以下の「新日本の進路」を執筆している。それを収録した単行本の副題には、「石原莞爾将軍の遺書」とある。では、それを読んでみよう。

 

新日本の進路         石原莞爾

一.人類歴史は統制主義の時代にある

 フランス革命は専制主義から自由主義えの転換を決定した典型的自由主義革命であり、日本の明治維新もこの見地からすれば、自由主義革命に属する。自由主義は専制主義よりも遥かに能率高き指導精神であつた。しかるに第一次大戦以後、敗戦国もしくは後進国において、敗戦から立上り、或は先進国に追いつくため、自由主義よりも更に能率高き統制主義が採用された。ソ連の共産党を含み、あらゆる近代的社会主義諸政党、三民主義の中国国民党、イタリアのフアツシヨ、ドイツのナチ、遅れ馳せながらスペインのフランコ政権、日本の大政翼賛会等はいづれもこれである。依然として自由主義に止つた諸国家も、第二次大戦起り、ドイツのフランス、イギリスにたいする緒戦の圧倒的勝利、さてはドイツの破竹の進撃にたいするソ連の頑強なる抵抗をを見るにおよんで、自由主義をもつてしては到底統制主義の高き能率に匹敵し得ざることを認め、急速に方向を転換するに到つた。

 自由は人類の本能的欲求であり、進歩の原動力である。これにたいし、統制は専制と自由を綜合開顕せる指導精神であり、個々の自由創意を最高度に発揚するため必要最小限度の専制を加えることである。今日自由主義を標榜して国家の運営に成功しているのは、世界にアメリカだけである。かつて自由主義の王者たりしイギリスさえ、既にイデオロギーによる統制主義国家となつている。しかして今やアメリカにおいても、政府の議会にたいする政治的比重がずつと加わり、最大の成長を遂げたる自由主義は、進んで驚くべき能率高き統制主義に進みつつある。国内におけるニユー・デイール、国際的にはマーシヤル・プラン、更に最近に到つては全世界にわたる未開発地域援助方策等は、それ自身が大なる統制主義の発現に他ならぬ。その掲ぐるデモクラシーも、既にソ連の共産主義、ドイツのナチズムと同じきイデオロギー的色彩を帯びている。かくしてアメリカまた、ソ連と世界的に対抗しつつ、実質は統制主義国家に変貌し来つたのである。

 専制から自由え、自由から専制えの歩みこそ、近代社会の発展において否定すべからざる世界共通の傾向ということができる。

 

二.日本は統制主義国家として独立せねばならぬ

 アメリカは今日、日本を自由主義国家の範疇において独立せしめんとしている。しかし厳密なる意味における自由主義国家は、既に世界に存在しない。そもそも、世界をあげて自由主義から統制主義に移行したのは、統制主義の能率が自由主義に比べて遥かに高かつたからである。イタリア、ドイツ、日本等、いづれも統制主義の高き能率によつて、アメリカやイギリスの自由主義と輸贏を争わんとしたのである。これがため世界平和を攪乱したことは厳粛なる反省を要するが、それが広く国民の心を得た事情には、十分理解すべき面が存するであろう。

 ただしアメリカが自由主義から堂々と統制主義に前進したに反し、イタリアもドイツも日本も、遺憾ながら逆に専制主義に後退し、一部のものの独裁に陥つた。真のデモクラシーを呼号するソ連さえ、自由から統制えの前進をなし得ず、ナチに最も似た形式の独裁的運営を行い、専制主義に後退した。唯一の例外に近きものは三民主義の中国のみである。かく観じ来れば、世界は今日、統制主義のアメリカと専制主義に後退せるソ連との二大陣営の対立と見ることもできる。

 この観察にはいまだ徹底せざる不十分さがあるかも知れぬが、日本が独立国家として再出発するに当つては、共産党を断然圧倒し得るごときイデオロギー中心の新政党を結成し、正しき統制主義国家として独立するのでなければ、国内の安定も世界平和えの寄与も到底望み得ざるものと確信する。

 もしアメリカが日本を自由主義国家として立たしめんと欲するならば、日本の再建は遅々として進まず、アメリカの引上げはその希望に反して永く不可能となるであろう。しからば日本は結局、アメリカの部分的属領化せざるを得ず、両国間の感情は著しく悪化する危険が多分にある。日本は今次の敗戦によつて、世界に先駆けた平和憲法を制定したが、一歩独立方式を誤れば、神聖なる新日本の意義は完全に失われてしまうであろう。繰返して強調する、今日世界に自由主義国家はどこにもない。我等の尊敬するイギリスさえ統制主義国家となり、アメリカまた自由主義を標榜しつつ実質は大きく統制主義に飛躍しつつある。日本は世界の進運に従い、統制主義国家として新生してこそ過去に犯した世界平和攪乱の罪を正しく償い得るものである。

 

三.東亜的統制主義の確立――東亜連盟運動の回顧

 世界はその世界性と地方性との協調によつて進まねばならぬ。東亜の文化の進み方には、世界の他の地方と異なる一つの型がある。故に統制主義日本を建設するに当つても、そのイデオロギーは東亜的のものとなり、世界平和とよく協調しつつ東亜の地方性を保持して行かねばならぬ。

 前述のごとく、幾多の統制主義国家が専制主義に後退した。しかるに三民主義の中国は、蒋介石氏の独裁と非難されるが断じてしからず、蒋氏は常に反省的であり、衰えたる国民党の一角に以前見事なる統制えの歩みが見られる。毛沢東氏の新民主主義も、恐らくソ連のごとき専制には堕せず、東洋的風格をもつ優秀なる思想を完成するに相違ない。我等は国共いづれが中国を支配するかを問わず、常にこれらと提携して東亜的指導原理の確立に努力すべきである。この態度はまた、朝鮮新建設の根本精神とも必ず結合し調和し得るであろう。

 しからば日本はどうであるか。大政翼賛会は完全に失敗したが、私の関係した東亜連盟運動は、三民主義や新民主主義よりも具体案の点において更に一歩進んだ新しさを持つていたのではないかと思う。この運動は終戦後極端なる保守反動思想と誤解され、解散を命ぜられた。それは私の持論たる「最終戦論」の影響を受けていたことが誤解の原因と想像されるが、「最終戦論」は、これを虚心に見るならば、断じて侵略主義的、帝国主義的見解にあらず、最高の道義にもとづく真の平和的理想を内包していることが解るであろう。東亜連盟運動は、世界のあらゆる民族の間に正しき協和を樹立するため、その基礎的団結として、まづ地域的に近接し且つ比較的共通せる文化内容をもつ東亜諸民族相携えて民族平等なる平和世界を建設せんと努力したるもの、支那事変や大東亜戦争には全力をあげて反対したのである。

 東亜連盟の主張は、経済建設の面においても一の新方式を提示した。今日世界の経済方式は、アメリカ式かソ連式かの二つしかない。しかしこれらは共に僅かな人口で、広大な土地と豊富な資源のあるところでやつて行く方式である。日本は土地狭く資源も貧弱である。しかも人口は多く、古来密集生活を営んで来た文化的性格から部落中心に団結する傾向が強い。こんなところでは、その特殊性を生かした独自の方式を採用せねばならぬ。アメリカ式やソ連式では、よしトルーマン大統領やスターリン首相がみづから最高のスタツフ率いてその術に当つても、建設は成功し難いであろう。東亜連盟の建設方式によれば、国民の大部分は、各地方の食糧生産力に応じて全国農村に分散し、今日の部落程度の広さを単位として一村を構成し、食糧を自給しつつ工業其他の国民職分を担当する。所謂農工一体の体制である。しかして機械工業に例をとれば、農村の小作業場では部品加工を分担しこれを適当地域において国営もしくは組合経営の親工場が綜合統一する。この種の分散統一の経営方式こそ今後の工業生産の眼目たるべきものである。しかしてかくのごときは、事情の相似た朝鮮や中国にも十分参考となり得るのではあるまいか。

 また東亜連盟運動は、その実践においても極めてデモクラチツクであり、よくその統制主義の主張を活かした。組織を見ても、誰もが推服する指導者なき限り、多くの支部は指導者的支部長をおかず、すべて合議制であつた。解散後数年を経た今日、尚解散していないかのごとく非難されているが、これは運動が専制によらず、真に心からなる理解の上に立つていた実情を物語つている。

 今日私は、東亜連盟の主張がすべて正しかつたとは勿論思わない。最終戦争が東亜と欧米との両国家群の間に行われるであろうと予想した見解は、甚しい自惚れであり、事実上明かに誤りであつたことを認める。また人類の一員として、既に世界が最終戦争時代に入つていることを信じつつも、できればこれが回避されることを、心から祈つている。しかし同時に、現実の世界の状勢を見るにつけ、殊に共産党の攻勢が激化の一途にある今日、真の平和的理想に導かれた東亜連盟運動の本質と足跡が正確に再検討せらるべき緊急の必要ありと信ずる。少くもその著想の中に、日本今後の正しき進路が発見せらるべきことを確信するものである。

 

四.我が理想

イ.超階級の政治

 マルクスの預言によれば、所謂資本主義時代になると社会の階級構成が単純化されて、はつきりブルジョアとプロレタリアの二大陣営に分裂し、プロレタリアは遂に暴力革命によつてブルジョアを打倒するといわれている。しかしこの預言は、今日では大きく外れて来た。社会の階級構成はむしろ逆に、文明の進んだ国ほど複雑に分化し、ブルジョアでもプロレタリアでもない階級がいよいよ増加しつつあり、これが社会発展の今日の段階における決定的趨勢である。共産党はかかる趨勢に対処し、プロレタリアと利害一致せざる階級或は利害相反する階級までも、術策を弄して自己の陣営に抱込み、他方暴力的独裁的方式をもつて、少数者の独断により一挙に事をなさんとしている。しかし右のごとき社会発展の段階においては、国家の政治がかつてのブルジョアとかプロレタリアのごとき、或階級の独裁によつて行われることは不当である。我等は今や、超階級の政治の要望せらるべき時代を迎えているのである。

 今日までの政治は階級利益のための政治であつた。これを日本でいえば、民主自由党はブルジョアの利益を守り、共産党がプロレタリアの利益を代表するがごとくである。しかるに政治が超階級となることは、政治が「或階級の利益のために」ということから「主義によつて」「理想のために」ということに転換することを意味している。ナチス・ドイツやソ連の政治が共にイデオロギーの政治であり、アメリカのデモクラシーも最近ではイデオロギー的に変化して来たこと前述の通りであるが、これらは現実にかくのごとき世界的歴史的動向を示すものである。かくして政治はますます道義的宗教的色彩を濃厚にし、気魄ある人々の奉仕によつて行わるべきものとなりつつある。

 私は日蓮聖人の信者であるが、日蓮聖人が人類救済のために説かれた「立正安国」の教えは、「主義によつて」「理想のために」行われる政治の最高の理想を示すものである。「立正安国」は今やその時到つて、真に実現すべき世界の最も重大なる指導原理となり来つたのである。人は超階級の政治の重大意義を、如何に高く評価しても尚足りぬであろう。

ロ.経済の原則

 超階級の政治の行わるべき時代には、経済を単純に、資本主義とか社会主義とか、或は自由経営とか官公営とか、一定してしまうのは適当でない。これらを巧みに按配して綜合運用すべき時代となつているのである。ここにその原則を述ぶれば次のごとくである。

 第一に、最も国家的性格の強い事業は逐次国営にし、これが運営に当るものは職業労働者でなく、国家的に組織されたる青年男女の義務的奉仕的労働たるべきである。我等はブルジョアの独裁を許し得ざるごとく、プロレタリア、つまり職業労働者の独裁をも許し得ざるものである。

 第二。大規模な事業で、国民全体の生活に密接なる関係あり、経営の比較的安定せるものは逐次組合の経営に移す。かくして国家は今後組合国家の形態に発展するであろう。戦争準備を必要とする国家においては、国家権力による経済統制が不可欠である。しかし日本は既に戦争準備の必要から完全に解放された。組合国家こそ、日本にとつて最適の国家体制である。

 第三。しかし創意や機略を必要とし、且つ経営的に危険の伴う仕事は、やはり有能なる個人の企業、自由競争にまかすことが最も合理的である。特に今日の日本の困難なる状勢を突破して新日本の建設を計るには、機微に活動し、最新の科学を駆使する個人的企業にまつべき分野の極めて多いことを考えねばならぬ。妙な嫉妬心から徒らに高率の税金を課し、活発なる企業心を削減せしめることは厳に戒しむべきである。

ハ.生活革命

 我等の組合国家においては、国民の大部分は農村に分散し、今日の部落程度の広さを単位として農工一体の新農村を建設する。各農村は組合組織を紐帯として今日の家族のごとき一個の共同体となり、生産も消費もすべて村中心に行う。これが新時代における国民生活の原則たるべきである。一村の戸数は、その村の採用する事業が何名の労働力を必要とするかによつて決定される。概ね十数戸乃至数十戸というところであろう。この体制が全国的に完成せらるれば、日本の経済は一挙に今日の十倍の生産力を獲得することも至難でないと信ずる。

 しかし農工一体の実現は、社会制度の革命なしには不可能である。日本の従来の家族は祖父母、父母、子、孫等の縦の系列をすべて抱擁し、これが経済単位であり、且つ生活単位でもあつた。この家族制度は日本の伝統的美風とされたが、一面非常な不合理をも含んでいた。我等の理想社会は、経済単位と生活単位とを完全に分離するものである。

 即ちそこでは、衣食住や育児等の所謂家事労働のすべては、部落の完備せる共同施設において、誠心と優秀なる技術によつて行われる。勿論家庭単位で婦人のみで行う場合より遥かに僅少の労働力をもつて遥かに高い能率を発揮できよう。かくして合理的に節約される労働力は、男女を問わずすべて村の生産に動員される。しかして各人の仕事は男女の性別によらず、各人の能力と関心によつてのみ決定する。生産の向上、生活の快適は期して待つべく、婦人開放の問題のごときも、かかる社会においてはじめて真の解決を見るであろう。

 かくのごとき集団生活にとり、最も重要なる施設は住宅である。私は現在のところ、村人の数だけの旅客を常に宿泊せしめ得る、完備した近代的ホテルのごとき共同建築物が住宅として理想的だと考えている。最高の能率と衛生、各人の自由の尊重、規律ある共同的日常行動等も、この種の住宅ならば極めて好都合に実現し得るのではあるまいか。

 新農村生活はまた、旧来の家族制度にまつわる、例えば姑と嫁との間におけるごとき、深刻なる精神問題をも根本的に解決する。そこでは老人の扶養は直接若夫婦の任務ではない。また老人夫婦は若夫婦の上に何等の憂も懸念ももつ必要はない。それぞれの夫婦は、完全に隔離された別室をもち、常に自由なる人生を楽しむであろう。そこでは新民法の精神を生かした夫婦が新たなる社会生活の一単位となり、社会生活は東洋の高き個人主義の上に立ち、アメリカ以上の夫婦中心に徹底するのである。親子の間を結ぶ孝行の道は、これによつて却つて純粋且つ素直に遵守されるものと思われる。この間、同族は単に精神的つながりのみを残すこととなるであろう。

 真に争なき精神生活と、安定せる経済生活とは、我等が血縁を超えて理想に生き、明日の農村を今日の家族のごとき運命共同体となし得た時、はじめて実現し得るものである。

(昭和二四年七月八日)

 

全体主義に関する混迷を明かにす

(「新日本の進路」脱稿後、これに使った「統制主義」という言葉が「全体主義」と混同され、文章全体の趣旨を誤解せしむる惧れありとの忠告を受けた。ここに若干の説明を加えて誤解なきを期したい。)

 近代社会は専制、自由、統制の三つの段階を経て発展して来た。即ち専制主義の時代から、フランス革命、明治維新等を経て自由主義の時代となり、人類社会はそこに飛躍的発展をとげたのであるが、その自由には限度あり、増加する人口にたいし、土地や資源がこれに伴わない場合、多くの人に真の自由を与えるため若干のさばきをつける。所謂「統制」を与える必要を生じた。マルクス主義はその最初の頃のものであり、以後世界をあげて統制主義の歴史段階に入つた。ソ連の共産党はじめ、イギリス、フランス等の近代的社会主義諸政党、三民主義の中国国民党、イタリアのフアツショ、ドイツのナチ、スペインのフランコ政権、日本の大政翼賛会等がその世界的傾向を示すものであることは本文にも述べた通りである。

 しかしよく注意せねばならぬ。「統制」はどこまでもフランス革命等によつて獲得された自由を全うするために、お互の我ままをせぬということをその根本精神とするものである。統制主義はかくのごとき社会発展の途上において、自由を更にのばすための必要から生れた、自由主義よりも一歩進んだ指導精神である。

 しからばこの間、全体主義は如何なる立場に立つものであるか。第二次大戦以後、全体主義にたいする憎しみが世界を支配し、その昂奮いまだ覚めやらぬ今日、これにつき種々概念上の混迷を生じたのは無理からぬことであるが、これを明確にせぬ限り、真に自由なる世界平和確立の努力に不要の摩擦を起す惧れが多分にあり、特に行過ぎた自由主義者や共産党の陣営において、かつて独善的日本主義者が自己に反対するものは何でも「赤」と攻撃したごとく、自己に同調せざるものを一口に「フアツショ」とか、「全体主義」とか、理性をこえた感情的悪罵に使用する傾向あることは十分の戒心を要するであろう。即ち全体主義に関する我等の見解は次のごとくである。

 世界は多数の人の自由をますますのばすために統制主義の時代に入つたが、人口多くして土地、資源の貧弱なるイタリア、ドイツ、日本特にドイツのごとき、清新なる気魄ありしかも立ちおくれた民族は、その悪条件を突破して富裕なる先進国に追つくため、却て多数の人の自由を犠牲にし、瞬間的に能率高き指導精神を採用した。尤もナチのごときでも国民社会主義と称して居り、決して前時代そのままの個人の専制に逆転したわけではないが、国民全体のデモクラシーによらず、指導者群に特殊の権力を与えて専制を許す方式をとつたのである。しかるに恐るるものなき指導者群の専制は、個人の専制以上に暴力的となつたことを我等は認める。これを世間で全体主義と呼んでいるのは正しいというべきであろう。かくしてムツソリーニに始められた全体主義は、ヒツトラーによつてより巧みに利用され、日本等またこれに従つて国力の飛躍的発展をはかり、遂にデモクラシーによつて順調に進んでいる富裕なる先進国の支配力を破壊して世界制覇を志したのが、今次の大破局をもたらしたのである。

 この間すべてを唯物的に取運ばんとするソ連は、今日アメリカと世界的に対抗し、真のデモクラシーを呼号しつつ、実はナチと大差なき共産党幹部の専制方式をとり、一般国民には多く実情を知らしめない全体主義に近づいているが、日本共産党はみづからこの先例に従つて全体主義的行動をとりつつあるにかかわらず、真の自由、真のデモクラシーの発展をもたらさんとする正しき統制主義を逆に「全体主義」「フアツショ」等と悪罵しているのである。

 しかし比較的富に余裕あるイギリスのごときを見よ。既に社会主義政府の実現により立派に統制主義の体制に入つても、尚デモクラシーを確保することを妨げないではないか。フランスもまた同様である。特にアメリカのごときは、ニウ・デイール、マーシヤル・プラン等の示すごとく雄大極まる統制主義の国家となりながら、どこまでもデモクラシ―をのばしつつある。アメリカに比較すれば、富の余裕大ならざるイギリスにおいて種々の国営を実施しているのにたいし、最も富裕なるアメリカが、強力なる統制下に尚大いに自由なる活動を許容し得ていることは特に注目されねばならぬ。中国の三民主義は、東洋的先覚孫文によつてうちたてられた統制主義の指導原理である。現在中国の国富は貧弱であるが、国土広大なるため、統制を行つても或程度自由をのばし得ている。

 この間の事情を人はよく理解すべきである。今日統制主義の体制をとらねばならぬことはいづれの国も同様である。ただアメリカのごとき富裕なる国においては、最小の制約を加えることによつて、いよいよ自由をのばし得るが、しからざる国においては制約の程度を強化せざるを得ず、そこに国民全体のデモクラシーを犠牲にし少数の指導者群の専制におちいる危険が包蔵されるのである。イタリア、ドイツ、日本等が全体主義に後退し、遂にそのイデオロギーを国家的民族的野心の闘争の具に悪用するに到つたのは、ここにその最大の原因が存したのである。

 全体主義につき従来いろいろの見解があつたが、我等はこれにつき統制主義の時代性を理解せず、指導者群の専制に後退したもの、繰返していうが、その弊害は個人の専制以上に暴力的となつたものと見るのである。しかしそれにもかかはらず、統制主義は今日、真の自由、真のデモクラシーを確保するため、絶対に正しく且つ必要なる指導精神であり、既にその先例はアメリカ、イギリス等に示されている。我等は本文に強調したるごとく、東亜の地方性にもとづき、現実に即したる正しき統制主義の指導原理を具体化することによつてのみ、よく世界の平和と進運に寄与し得るであろう。

(一九二四年八月十日)