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横浜第2合同庁舎の外観

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.47
「氷川丸を見学する」

 先に日本郵船歴史博物館を訪ねた時に、あわせて「氷川丸」に乗船できる券を入手していたので、某日、山下公園に係留されている氷川丸にやって来た。

hidden story

 

 平成28年8月に重要文化財に指定された、この船の歴史をまず簡単に述べよう。

  • 1930年 シアトル航路用の貨客船として建造。
  • 戦前 秩父宮ご夫妻、チャーリー・チャップリンなど、約1万人が乗船。
  • 戦中 政府徴用船および海軍特設病院船に。3回、触雷するも、日本郵船の大型船ではこの船だけが沈没を免れる。
  • 戦後 病院船のまま復員輸送に従事。1947年には、復元工事を施し、貨客船に戻る。国内航路定期船→外航不定期船で就航。1951年8月からは、シアトル、ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航している。1953年には、シアトル航路に復帰。フルブライト留学生など渡航者を約2500人はじめ、約1万6000人を輸送、活躍している。
  • 1960年10月、シアトル、バンクーバーから神戸に帰港し、係留地横浜への回航をもって第一線から退く。

 いまはきちんと改修されているので、機関室や船内の甲板上を楽しく見学できたし、当時の勇姿を彷彿とさせている。


  • 氷川丸の船尾の甲板から山下公園越しに
    ホテルニューグランドを眺める

  • 氷川丸の甲板から遠くに
    税関ビル(クイーンの塔)を見る

 ところで、ここで1915年11月29日に行われた音楽評論家の瀬川昌久さんプロデュースのイベント「戦後・日本のジャズは氷川丸から始まった」の映像記録を紹介しよう。

 かつて海軍主計少尉として氷川丸に乗り込んでいた瀬川さんは、1945年11月に、ニューギニアのラバウルから復員する3000人の日本兵と、その面倒をみた少年兵など300人の乗組員を慰労するため、自ら有楽町の日劇に出かけて行って、楽団南十字星と歌手・永岡静子と交渉、当時大ヒットしていた「センチメンタル・ジャーニー」などを氷川丸で演奏してもらい、みんなに喜ばれたという。それを70年振りに再現したというわけである。
 私は短時間の見学をすませ、山下公園に建つ「赤い靴をはいていた女の子像」に立ち寄り、次の目的地へと向かった。

山下公園の赤い靴はいてた女の子像

 

(文責:編集部MAO)