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日光の金谷ホテルと東照宮へ

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.42
「日光の金谷ホテルと東照宮へ」

 上野東照宮に参拝したのだから、平成の大修理の終わった日光東照宮にも参ろうと思い立った。大方の人は、GHQとしては将兵に休養させる施設を日本有数の観光地である日光に設けるだろうと想像するのは自然なことである。そこで、調べると、案の定、日本最古のリゾートクラシックホテルの金谷ホテルを接収していた。
 なので、はとバスの観光案内を調べると、「世界遺産 日光の社寺と金谷ホテルベーカリーのランチ」と名づけたバスツアーがあったので、早速申し込んだ。

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 まず日光田母沢御用邸記念公園に寄る。
 この大正天皇のご静養のための御用邸は、今上天皇が皇太子のみぎり、疎開していた場所で、庭に防空壕もあった。中には入れないが、出入口が残されていた。また、栃木県によって面積が最大になった1921年の姿を可能な限り復原した御用邸の建物群が公開されている。
 この前を通っている道路を日本ロマンチック街道というそうだが、東に5分ほど歩くと、金谷ホテル創業の地(ここに金谷ホテル歴史館があり、「侍屋敷」とも称される)と、金谷ホテルベーカリー(カテッジイン・レストラン)が並んでいる。
 ランチとしておいしいパンを食べてから、隣の金谷ホテル歴史館を巡覧したので、ちょっと金谷ホテルのヒストリーの一端を紹介しておこう。


ベーカリーと左隣に続く歴史館

 まず金谷ホテルの主な施設と所在地について。
 ここは創業の地で、「侍屋敷」。ここから戻って、西に向かい、「いろは坂」を上り、華厳の滝や中禅寺湖に至れば、湖畔に中善寺金谷ホテルが所在する。東に行けば、数分で北側一帯が輪王寺、東照宮、二荒山神社の一帯が広がる。ツアーの帰りには、そこを通り過ぎ、「神橋」の信号の橋を右に渡れば、その右側に日光金谷ホテルがある、さらに進めば、東武線とJR線の「日光駅」が古いなつかしい姿を見せる。たしかに 金谷ホテルは日光の絶好の位置に建物を構える一群であることがわかる。


金谷ホテルの創業の地にある歴史館

 さて、歴史。「明治初期、東照宮の雅楽師金谷善一郎と(ヘボン式ローマ字を考案した米人)ヘボン博士の出会いが日本で最初の外国人専用ホテル『金谷ホテル』誕生のきっかけを」つくったという。また、イギリスの旅行家イサベラ・バード女史が『日本奥地紀行』で紹介したり、1922年に来日したアルバート・アインシュタイン(その年にノーベル賞受賞)が泊まっている。それに、パークス英国駐日大使(1874年)や第18代アメリカ大統領のグラント(1879年)なども、ゲストブックに名を残している。
 私が注目したのは、のちに第34代アメリカ大統領になったドワイト・アイゼンハワー(1960年には安保騒動で来日中止)が、1946年5月10日には、陸軍参謀総長として来日して、翌11日には「日本の再建はドイツより容易」と表明したこと。そして、この金谷ホテルに足跡を残している。
 この日光金谷ホテル、日光観光ホテルは、1945年、米軍の保養所として接収される。ただし、日光観光ホテルは接収中の1950年に全焼、再建される。1952年に日光金谷ホテルが、57年に日光観光ホテルが接収解除される。後者は65年に中善寺金谷ホテルと改称している。
 このツアーとしては、ランチ後、日光輪王寺三仏堂から、神厩舎の「見ざる聞かざる言わざる」の三猿、平成の大修理で新しくなった陽明門、左甚五郎作の「眠り猫」、薬師堂の「鳴き龍」、そして二荒山神社という順路で、へめぐり、二社一寺の参拝を終了。


  • 陽明門

  • 日光東照宮の大修理で新しくなった陽明門

 帰りには、先述した神橋を渡り、車窓からレトロな東武やJRの日光駅舎を見ながら、眠りに落ち、東京駅に戻ってきた。こうして、一日がかりのバス旅行も無事終了した。

 

(文責:編集部MAO)