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沢田美喜の自宅「サワダ・ハウス」

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.40
沢田美喜の自宅
「サワダ・ハウス」

 大磯にエリザベス・サンダース・ホームを開き、「混血孤児の救済という戦争の後始末に、たった一人で果敢に立ち向かった人物」、沢田美喜を描いた青木冨貴子著『GHQと戦った女 沢田美喜』(新潮社)の第六章「『サワダ・ハウス』と『本郷ハウス』」を読んで、すでにこのコーナーで「本郷ハウス」のほうは紹介しているので、今回は「サワダ・ハウス」に行ってみたくなった。

hidden story

 

 同書では、「東京メトロの半蔵門駅から大妻通りの坂道を北の靖国神社方面へ上って行くと、『袖摺坂』の標識をこえて、右手に五味坂交番、左手に川喜多メモリアルビルや高級マンションが立ち並んでいる。さすがにかつてのお屋敷町である。次の角を左に曲がって坂を上ると一番町二〇番地という住所が電信柱にあって、二〇一四年十一月に訪ねたときには、『串田孫一旧居跡』という新しい表示板が立っていた。右手には古くて立派な塀が長くつづいているので誰の邸宅かと思ったら、石造りの建物の入り口に『ローマ法王庁大使館』という表示があって納得した。


「串田孫一旧居跡」の表示板

 その真向かいが千代田区一番町二〇番七。沢田美喜の麹町の家があった跡地である。……ここに戦前、戦中、戦後、鉄筋コンクリート四階建ての英国風の邸宅があった。
 もとは米国のファースト・ナショナル・シティー銀行東京支店長の家だったものを、昭和十五年(一九四〇年)に澤田家が入手した。壁面に蔦がからまるヨーロッパ調の堂々とした邸宅だったという。立派な玄関があり、一階には車庫もある。全館スチーム暖房が施され、入るとエレベーターがあってダイニングルームになる。二階、三階と上っていくと、四階はペントハウスのようになっている。……
 沢田美喜は、生家も自宅も進駐軍によって接収されてしまったのだ。
 美喜にとって茅町本邸が接収されたことは大きな痛手であった。まして茅町には、悪名高いGHQ参謀第二部(G2)直轄のキャノン機関の本部が置かれたことは、よく知られている。麹町の家はポール・ラッシュによって民間諜報局(CIS)に接収され、諜報活動に携わる『サワダ・ハウス』になった。
 このCISのオフィスであるサワダ・ハウスで働く日本人職員のリーダーだった佐藤輝夫の証言によると、出入の厳しかったなかで、「私は民間人だったから、何回か、内緒で市ヶ谷の駅まで歩いた」そうだが、私も、JR「市ヶ谷駅」を散策の起点とした。
 靖国通りを九段の靖国神社方面に歩き、「東郷公園入口」の信号を右に曲がり、すぐ遊ぶ子供たちの声の響き渡る「東郷元帥記念公園」が広がっているのを脇目に見ながら、真っすぐに「一番町20」の標識のところまで進み、ちょっと歩いて右側の高級マンション「ホーマットカメリア」前に、「串田孫一旧居跡」という表地板が立っていた。その隣は、「エクレール一番町」の入口で、ここの住所が、かつてサワダ・ハウスがあった「一番町20-7」である。立ち並ぶ高級マンションの一つで、改修工事の真っ最中のようであった。
 その真ん前には、石塀に囲まれた「駐日ローマ法王庁」が、今を盛りに咲き誇る桜に周囲を飾られ、静かな佇まいを見せていた。


  • サワダ・ハウスだった
    「エクレール一番町」

  • サワダ・ハウス真向かいの
    駐日ローマ法王庁

 そこを真っすぐに大妻通りに出て、右へ曲れは、角の裏は、「川喜多メモリアルビル」。さらに袖摺坂を下りていき、「一番町」信号を左へ、「千鳥が淵」信号を右へ行けば、英国大使館である。ここら一帯は、花見の名所で、大勢の花見客で賑わっていた。
 英国大使館前あたりの桜は、アーネストサトーが植えて、東京都に寄贈したが、戦災で枯れてしまったので、戦後に復興したもののようである。春爛漫のその風情は最高、絶景かな、絶景かな。

 

(文責:編集部MAO)