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「今井ハウス」

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.39
「今井ハウス」

 田中隆吉著『敗因を衝く 軍閥専横の実相』(中公文庫)に収められた息子の田中稔が記した「東京裁判と父田中隆吉」によれば、まず田中隆吉とGHQの関係はこうだ。

hidden story

 

「敗戦後間もなく、父田中隆吉は軍部批判のうっ積した感情を爆発させるように、一気呵成に本書(上述の『敗因を衝く』)を書き上げた。そして早くも、翌二十一年一月には発売にこぎつけた。その思いの激しさを裏づけるように、父はその中で今次大戦の敗因について、きわめて明解に自分の所感、主張を述べている。東京裁判がまさに開かれようとしていた時である。本書が総司令部(GHQ)の目に止まったことは、容易に想像される」として、田中と晩年まで親交のあった東京新聞政治部記者・江口航氏の手記からの引用を中心に、このように書き継ぐ。
「年が明けて昭和二十一年、戦後初の総選挙(四月十日)が近づいた頃、首相官邸の記者クラブに米軍将校がたずねて来た。田中の手記の載った新聞を示して、この筆者の住所が知りたいという。逮捕するのかと聞くと、『逮捕命令はうけていない。国際検事団からさがせと依頼をうけただけだ』と案外おだやかな態度であった。戦犯逮捕であるならば、いきなり警察がやって来るはずである。……私は旅先の旅館で会ったので正確な住所は知らないが、山中湖と聞いている。復員省にゆけばわかるはずだと答えると、おとなしく帰って行った。
 それから一カ月ほど後、首相官邸の記者クラブに詰めていた私に、田中から突然いつもの唐突な調子ですぐ来いという電話が入った。場所は神田の竜名館だという。早速訪ねると、田中は一通の電報を示した。『国際検事団に出頭されたし』という第一復員省からの電文であった。しかし彼は第一復員省は軍務局の残党でかためているから、直接国際検事団に出頭したいのでその場所を探して案内しろと言うのである。

 こうして出頭した田中隆吉は、尋問を受けることになるわけだが、「父はその後、白金の野村邸に移された。そこで彼はキーナン検事と初めて出会った。そして、キーナンから、こう言われる。
「――実は私は日本に赴任する直前に、トルーマン大統領からきわめて重要な指令をうけて来ている。そのことはマッカーサー司令官も了解ずみで、東京裁判での一番大きな任務なのだ。それは、こんどの裁判を通して日本の天皇に戦争の責任がなかったという結論をうち出すことである。また二、三の国から法廷に於ける天皇の証言を求めるような要求があっても、天皇が出廷されることのないようにこれを阻止すること、これが私のつとめなのだ。ゼネラル田中、君は天皇を助けるために、私に是非協力してくれるだろうね――
 田中は、きのうの敵であるキーナンの口から意外なことを聞かされて驚いた。彼は即座に全面的な協力を誓って、キーナンと握手をかわしたのである」

 以上が、田中隆吉が東京裁判で検事側証言者になった経緯であるという。
 それ以後の田中は、「野村邸から間近い伊東ハウス」に移され、約二週間ほど過ごした後、「やがて代々木初台の片倉製糸社長・今井五介氏の邸が米軍によって証人宿舎として接収されるや、第一番目の住人として移って行った」そうだ。
 GHQが1948年6月に作成した「シティ・マップ・セントラル・トーキョー」という地図を見ると、代々木公園にあったWashington Heightsの近くにImai House、そして番号413という数字が記されている。そのマップの裏面には、413は、627 Yoyogi Hatsudai-cho,Shibuya-kuと住所が記されていた。また、社団法人国際聯盟協会の役員委員職員名簿(昭和七年四月現在)では、理事として今井五介の名が見え、住所欄に「市外代々幡町代々木初台六二七」とある。さすれば、今井ハウスは今井五介の邸宅で、旧住所は「代々木初台町627」に違いないはず。それが現住所では、どこなのかだが、それは図書館ですぐ判明した。そこは、現在の地番では、「代々木5丁目30」であった。
 そこが今はどうなっているか、散策してみた。千代田線「代々木公園駅」や小田急線「代々木八幡駅」を下車すれば、山手通り。そこを初台方面に向かって歩き始め、代々木八幡神社を右手に、1,2分過ぎれば、初台坂下のバス停留所で、その先、「カトリック初台教会」の大きな看板のところを右に入り、ゆるやかな坂道を上っていけば、「代々木5-31」の標識を巻いた電柱にぶつかる。そこを左に行けば、「代々木5-30」。今井ハウスは今はなく、跡地に高級マンション「パークハウス代々木公園」が建っている。


  • 今井ハウスへは、山手通りのここから入っていく

  • 今井ハウスの跡地には、
    「パークハウス代々木公園」
    のマンションが建っている

 昔を思い起こすよすがなど何もないが、そこを回り込むように裏手の通りに入っていくと、左手の「代々木5の31と32」に大使館が並んでいた。
 まずブラジル連邦共和国大使館と表示された建物。今は北青山にあるはずだが、かつて代々木八幡近くのここにあったようで、今は職員宿舎として使われているのだろうか。つづいてブルガリア大使公邸(Republic of Bulgaria Ambassader’s Residence)がある。この建物は銀座和光などを手がけた渡辺仁が設計して1937年に完成した旧石坂泰三邸である。彼はGHQが本部として第一生命を接収したとき、同社社長で、彼の椅子にマッカーサーが座ったことは有名な話である。また、この建物の並びで、小田急線側に立っているブルガリア大使館は、丹下健三設計で1974年に竣工している。
 とにかく、お屋敷町だったわけだが、ここからは東京裁判が開かれた市ヶ谷へは近く(新宿に出て、新宿通りや靖国通りですぐである)、国際検事団には便利だったであろう。


  • かつてあったブラジル大使館の裏門

  • ブルガリア大使公邸

 

(文責:編集部MAO)