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「YMCA神田会館」

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.38
「YMCA神田会館」

 JR中央線「お茶の水駅」を聖橋側の改札口に出て、ニコライ堂を右手に見ながら、本郷通りを靖国通りとの「小川町」交差点まで歩く。さらに、真っすぐ1,2分ほど進むと、左手に住友不動産神田ビル(ベルサール神田)が立っていた。ここの管理人室で、このビルについて尋ねると、「かつてYMCA神田会館があって、その跡地にこれは立っており、その碑がビルの前にあります」と教えてくれた。

hidden story

 


  • かつてYMCA神田ビルがあったという碑

  • 本郷通り側から見た住友不動産神田ビル

 神田資料室の「KANDAルネッサンス20号」(1992年1月15日)によると、
「YMCAの歴史をひもとくと、予想以上に古く、なんと最初にできたのは東京YMCAで明治13年。この時の発会式は当時の住所で『京橋区新肴町』なる所(今の銀座)の京橋教会で行われました。そして明治21年には、北米YMCAから派遣されたジョン・T・スウィフトや『日本の英語教師の父』と呼ばれた神田乃武(かんだないぶ)の働きかけで青年夜学校(東京YMCA英語専門学校)が創立され、生徒50人、月謝50銭からの学校がスタートするのです。
 現在の神田の地へ移り、1代目の校舎が落成したのは、明治27年のこと。鹿鳴館やニコライ堂と同じ、英国の建築家J・コンドルの設計によって赤レンガ造り3階建ての『青年会館』は誕生しました。当時にしてみれば、ずい分立派な建物で人々の目を惹きつけたといいます。ここには日本最初の室内総合体育館や室内プールも建立され、多くの人に活用されました。
 残念なことに関東大震災によってこの校舎は崩れてしまいますが、昭和4年には、160万円をかけ、2代目のYMCA会館が竣工します。この160万円のうち100万円はアメリカのジョン・R・モット博士からの寄付だったとか。
 英国様式の格調高いこの会館において、国際ホテル学校が生まれ、戦争を体験し、デザイン研究所、さらには社会体育専門学校が開校されたのです」

 それ以降については、「東京YMCAの歴史」を見ていこう。
第2代会館の建設 ~小集団活動、救済事業、職業教育の展開
 多くの募金に支えられ、1929年12月に第2代会館が竣工しました。この会館には大講堂に代わって小集会室がたくさん作られ、会員たちは、『英語社交会』『国際通信クラブ』『合唱会』『青年実業家クラブ』などたくさんのサークルを作って活動しました。

『社会部』では、職業紹介のほかに人事相談や法律相談を行ない、『食費恵与』『農林省払下白米廉売』『汽車賃恵与』『宿泊紹介』などさまざまな救済事業を実施しました。
 また1935年には、外国人旅行客の増加と1940年の東京オリンピックにそなえて、『国際ホテル学校』(現:東京YMCA国際ホテル専門学校)を開校しました。戦争のためオリンピックは開催されませんでしたが、現在に至るまで多くの人材をホテル業界に輩出しています。

戦中戦後
 戦時中は活動も制限され、1944年に山中湖センターには陸軍通信隊が駐屯したほか、戦後は神田会館がGHQに接収され、3年間ほど千代田区富士見町の仮会館に移ることとなりました。 一方でYMCAは国際団体であることから、齊藤惣一総主事は厚生省の『引揚援護庁長官』に任命され、625万人の在外抑留者引き揚げに貢献しました。 また、価値観が大きく転換された戦後直後には、多くの人が人生の根本的立て直しを願い、1946年にライオン歯磨本社で昼休みに聖書を読むサークル活動が行われたのを初め、銀行など全国56カ所の職場で『YMCA聖書輪読運動』が行われました。また、夏の山中湖キャンプには延べ3000名が集うなど、活動は勢いを増していきました」
 そして以下の写真が1992年に改築工事が終わった第3代神田会館である。

 そして、東京YMCAは、老朽化した設備を一新して、地上8階、地下2階の近代的なビルに建て替えています。この1992年に改築された神田の3代目会館は、「国際奉仕センター」と呼ばれ、バングラデシュ、ソウル、北京、ハワイなど、海外のYMCAとの青少年交流活動や、国際協力プログラム、国際理解講座などが次々と始められています。
 この本館ビルには、財団本部のほか、屋内プールやスポーツジムを完備した総合体育施設、部屋数40室のホテル、民間企業向けの貸しオフィス、さらに、英語などの専門学校4校があり、改築後、結婚式場や貸しホールなどの事業多角化にも乗り出していたが、2003年には、約58億円の債務を抱え、経営困難に陥り、この神田の本部会館を売却するに至っている。その後、YMCAは江東区東陽町に本部機能を移している。
 神田の建物は取り壊されて、跡地は現在の住友不動産神田ビル(ベルサール神田)になっている。

 

(文責:編集部MAO)