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渋谷109裏の恋文横丁の碑

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.8
渋谷109裏の
恋文横丁の碑

 無残! 「恋文横丁此処にありき」の碑(木柱)が引き倒されたのか、腐って倒れたのか、2015年11月に横たえられていた。

hidden story

 

 ここは、JR渋谷駅のハチ公口を出て、スクランブル交差点を渡ると目の前に見えてくる「渋谷109」の右側の文化村通り(左側は道玄坂)を東急本店方面に向かい、その真裏の「元祖くじら屋」と「ヤマダ電機LABI渋谷店」の間の道路脇にある。
 ここには、朝鮮戦争当時、米兵相手のパンパンやオンリーなどが帰国した彼らにラブレターを書いてもらう代書屋が集まっていた。1953年に丹羽文雄は朝日新聞に連載した小説「恋文」で、その生態を描いた。そして、それを原作に、木下恵介が脚色した新東宝映画「恋文」が田中絹代第一回監督作品として、同年12月に公開されている。そうしたことに由来して、ここは「恋文横丁」と名づけられたという。
 ここは1965年に焼け、今の「渋谷109」が建つわけだが、木柱の碑の前は、次のような看板が掲げられていた。
「“恋文横丁此処にありき”
 これより入った奥に、小さな三十六の店があった。戦後の混乱、物資の不足、それに係争と云う重荷まで背負い、彼等の足どりは重く、乱れがちだった。……しかし彼等は希望と、繁栄と、ロマンを求め、その小路を“恋文横丁”と名づけた……
文・責・美美薬品 店主
昭・五四・五月」
 しかし、今では封鎖され、通り抜けられないようになって、当時をしのぶ縁(よすが)もなくなっている。ただ、碑だけがあるだけだった。

  • 渋谷109裏の恋文横丁の碑
    恋文横丁の碑
  • 「恋文横丁があった当時、飲み屋や食堂の奥に、恋文の代書屋が集っていた」
    「恋文横丁があった当時、飲み屋や食堂の奥に、
    恋文の代書屋が集っていた」

 この映画は、以下のユーチューブで見ることができる。

 

(文責:編集部MAO)