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INTERVIEW永田浩三さんインタビュー
- VOL.2
- 永田浩三さん
――その証言者を一人だけ上げることはできないでしょうが、印象に残る方々を何人かご紹介いただけますか?
永田 どのかたも素晴らしい話をしてくださいました。復帰運動の精神的支柱だった中村安太郎の大島中学時代の教え子である、「中村学校」の崎田実芳さんは、おからだを壊しておられましたが、何度も会っていただきました。運動の大きな盛り上がりをつくった署名活動や断食という作戦を考え、雑誌「新青年」を発行したすごいひとです。同じく中村学校の徳田豊己さんは、軍政府に追われて逃走し、本土に渡ります。その一部始終を語って下さいました。逃亡を助けてくれたひとたちの恩情を思い出すたびに、涙をこぼされました。保守的な風土の奄美にあって、タブーを恐れず突き進んだ当時の青年たち。その熱い体験聞き漏らすまいと、事前の準備を必死におこないましたが、付け焼刃でまだまだ不十分だったと反省しています。
――奄美大島の復帰運動は、この本を読んでくださいとしか言いようなないかもしれませんが、どういうものでしたか?
永田 沖縄の復帰運動に比べて有名ではありませんが、熱気やエネルギーにおいてひけをとらないどころか、沖縄基地闘争の原型が奄美の復帰運動です。沖縄の瀬長亀次郎は中村安太郎に学ぶところが大きかったのです。アメリカの軍政下にあって、奄美には日本国憲法はありませんでした。言論の自由。集会結社の自由はなかったのです。そんななか、若者たちは、さまざまな知恵を編み出して、デモを行い、「新青年」のような当時の日本全体をみても特筆すべき雑誌をみんなで盛り立てました。当時、本は貴重品。一冊の本を手分けして書き写し、コピーを作りました。またゴーリキーの小説などは軍政に有害だとして禁止図書となりました。そんななか、若者たちは言葉を欲し、隠れてむさぼるように読んだといいます。不自由だったのは確かですが、健気さをうらやましくも思いました。奄美の復帰運動は、弾圧をはね返した「無血革命」。これは、日本の民主主義のなかでも、特筆すべき成功例だと思います。ひとびとをつなげたのは、言葉でした。いまの安倍政権は、言葉への敬意を失う文化の破壊者ですが、当時の奄美の人たちはまさに言葉によって革命をもたらしたのだと思います。
――この運動が世界に与えた影響は多大なものがあったと聞きます。そのいくつかを教えてください?
永田 ナセルをリーダーにしたエジプトの独立運動は、奄美をモデルにしました。奄美はガンジーの無抵抗主義とハンガーストライキをまねました。歴史は、国境を越えて引き継がれていく。奄美の復帰運動は、その後、沖縄の基地闘争にも引き継がれ、辺野古の新基地闘争反対の運動にもつながっていきます。こうした運動が、いまの安全保障関連法案反対のうねりにもつながっていくと素晴らしいと思います。
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プロフィール:永田 浩三(ながたこうぞう)
1954年大阪生れ。東北大学教育学部卒業。1977年NHKに入社。ドキュメンタリー、教養番組に携わり、ディレクターとしてNHK特集『どんなご縁で』、NHKスペシャル 『社会主義の20世紀』、プロデューサーとして『クローズアップ現代』『NHKスペシャル』『ETV2001』などを制作する。その間、「芸術作品賞」「放送文化基金賞」「ギャラクシー賞」などを受賞し、また「菊池寛賞」を共同受賞した。2009年、NHKを退社。現在、武蔵大学社会学部教授。
なお、『重ね地図シリーズ 東京 マッカーサーの時代編』の「別冊 日本占領の正体」に「ミステリーの時代―謎多き占領期」を寄稿いただいている。◆永田浩三さん極私的ブログ「隙だらけ好きだらけ日記」
http://nagata-kozo.com/