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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第19回
「GHQが平安期の平将門を恐れる」

 今回は、異色のエピソードです。「平将門がGHQに祟った」という話を紹介します。
 平将門といえば、平安中期の武将で、朝日日本歴史人物事典には、こう解説されています。「没年:天慶3.2.14(940.3.25)、生年:生年不詳
平安中期の武将。桓武平氏高望の孫で父は鎮守府将軍良将(一説に良持)。若いとき上京して一時期、摂関藤原忠平に仕えたこともあったが、志を得ず本拠地の下総国に戻って勢力を養い豊田、猿島、相馬の3郡(ともに茨城県)を支配した。承平5(935)年父の遺領の配分と女性問題をめぐって一族と争いを生じ、おじ国香やその姻戚の常陸(茨城県)の豪族源護の子らを殺したことで、おじ良兼、良正や国香の子貞盛の攻撃を受けることになった。将門はこれを打ち負かしたが、護がこの事件を朝廷に訴え出たため召喚された。運よく恩赦に浴し許され帰国した。のちおじたちとの争いは激しさを加えたが、これを抑えこみ国司の抗争に介入した。天慶2(939)年武蔵国において権守の興世王、介(次官)の源経基と郡司の武蔵武芝との争いの調停に当たったが,経基によって朝廷に訴えられた。その矢先、常陸国における国守藤原維幾と土豪藤原玄明の紛争で将門を頼ってきた玄明を庇護して国府を襲撃、官物を奪って放火し、この段階で国家に対する反乱とみなされた。将門は興世王にのせられ下野(栃木県)、上野(群馬県)、武蔵,、相模(神奈川県)の諸国を配下におき、八幡大菩薩の神託を得たとして新皇と称して坂東八カ国の独立を宣言し、下総国猿島郡石井に王城の建設を始めた。しかし翌年、貞盛や下野国の押領使藤原秀郷らに滅ぼされた。事件後ほどなくしてできた『将門記』の語るところである。この承平・天慶の乱が貴族に与えた衝撃は大きく、のちの争乱で「宛も承平・天慶の乱のごとし」と引きあいに出されることが多い。侠気に富む行動に対して悪逆無道の人物という評価のある半面,国家の苛政に勇敢に反抗した英雄とのみかたもある。このことが各地に首塚など多くの遺跡を生むことにもなった。茨城県岩井市の国王神社に将門の木像がある。〈参考文献〉福田豊彦『平将門の乱』,林陸郎『史実平将門』,赤城宗徳『平将門』(朧谷寿)」(出典 朝日日本歴史人物事典)
 また、江戸・東京人物辞典の解説では、こうです。
平将門 ?〜940(??〜??)【武将】新皇と称し、関東の独立を目指した武将。平安中期の武将。下総国の人。相馬小二郎とも。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず憤慨して関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど、関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し文武百官を置いて、関東独立を図ったが、朝廷の追討軍との争いに破れた。一説に京都で処刑され、首が飛び帰って葬られたのが、大手町将門首塚とされる。神田明神などに祀られている」

 今回、この将門の怨霊が現代のGHQにたたったというお話です。現在、権力者たちが何者にも恐れずふるまっているのを見ると、そのうち、おぬしにもたたりがあるぞという思いを味あわせたいものです。
 そこで、GHQと将門の怨霊のおはなしを取り上げた映像があります。「幻解! 超常ファイル東京ミステリー 平将門の首」を見て下さい。これをどう考えるかは、ご自由です。でも、何かをするとき、恐れるものをもつことは大切な気がします。