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X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第19回
「M資金の奇々怪々」

 今もって騒がれることがありますM資金について、手っ取り早くウィキメディアで調べますと、「M資金(エムしきん)とは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である。Mは、GHQ経済科学局の第2代局長であった少将ウィリアム・マーカットの頭文字とするのが定説となっている。その他にマッカーサー、MSA協定、フリーメーソン などの頭文字とする説などがある」と説明されています。さらに、この不透明な資金について、「第二次世界大戦終戦時の混乱期に、大量の貴金属やダイヤモンドなどの宝石類を含む軍需物資が、保管されていた日銀地下金庫から秘密裏に流用されていた隠退蔵物資事件や、件の日銀地下金庫にGHQのマーカット少将指揮の部隊が調査・押収に訪れた際に、彼らによる隠匿があったとされた事件などが発生した。GHQの管理下に置かれた押収資産は、戦後復興・賠償にほぼ費やされたとされるが、資金の流れには不透明な部分があり、これが“MSA資金”に関する噂の根拠となった。他には、終戦直前に旧日本軍が東京湾の越中島海底に隠匿していた、大量の貴金属地金が1946年4月6日に米軍によって発見された事件や、終戦直後に各種の軍需物資が隠匿され、闇市を通じて流出していた時期の鮮明な記憶が噂の真実味を醸し出していた。また、戦後のGHQ統治下で構築された、いくつかの秘密資金が組み合わされたものが現在の“M資金”の実態であると主張する意見もある。それによれば、M資金・四谷資金・キーナン資金・その他の、GHQの活動を通じて形成された資金を統合したものが“M資金”であり、その運用は日本政府の一部の人々によって行われ、幾多の国家的転機に際して利用されてきたという。流れの不透明な資金には、他にG資金とX資金がある。さらには蓄積円というものまで存在した。1980年には笹川良一が資金提供して日本海洋開発が日本海で旧ロシアの軍艦アドミラル・ナヒモフの調査を実施し、金属のインゴットが引き上げられたと報じられたことがあった」と解説が続きます。
 とにかく騙し騙される人が続出、悲喜劇がいつ果てるともなく、絶えません。
 そこで、NHKプレミアムで2018年5月22日に放映された「アナザーストーリーズ運命の分岐点 M資金の伝説~旧日本軍の財宝を語る」をご覧ください。どう騙されたのか、なぜ詐欺を働いたのかについて描かれ、占領が日本人の意識構造に何をもたらしたのかを考えさせてくれます。

 マーカットの前にESS(経済科学局)の初代局長を務めたのはレイ・クレーマーですが彼は、「在ドイツの司令部では三つに分かれていた経済、労働、財政のすべての機能と責任を経済局のもとに結合した。さらに、彼は科学をも加えた。その結果、工業、対外貿易、物価統制、配給、財閥解体活動、経済統計のすべてがESSに包含されることになった。クレーマーのつくった複雑な局は巨大で、ピーク時には約五百人の経済専門家、技師、企業家その他関連要員が配属され、日本の三つの省――大蔵省、商工省(のちの通商産業省)、厚生省――それに経済安定本部および日本銀行をも監督していた。その責任は日本の日常生活の隅々にまで達し、その局長はほとんどあらゆる重要問題に関与していた」(セオドア・コーエン著『日本占領革命 GHQからの証言』より)。
 そのクレーマーも1945年12月に辞表を出し、帰国して実業家の生活に戻ったという。そして、「やり手であっただけにクレーマーの後任を見つけるのは一苦労であった。マッカーサーは後任捜しまでの一時的措置として、撃ち落とす飛行機もなく贅肉の嘆をかこっていた、愛想がよくて抜け目のないビル・マーカットを暫定的に局長に任命した(数か月後にマッカーサーはマーカットに連合国対日理事会の初代議長をも兼務するよう要請する)。後任のESS局長は経済関係者、あるいは東京にやって来た各種の使節団のなかにも適任者が見当たらなかった。マッカーサーは人選をやめ、といってワシントンから扱いにくい者を押しつけられる危険も避けたいので、専門的な訓練もなく資格も経験もないが、変わらぬ忠誠心と生まれつき明晰な頭脳をもつマーカットを正式のESS局長に任命した」(上記同書から)という。
 なお、彼は日本の野球の発展にも功績があります。最後に、同書から引用します。
「彼は五十四歳のとき、ESSのソフトボール・チームで二塁手を務め、若い軍人が主体となって編成したソフトボール連盟の会長となった。また日本のアマチュア野球のコミッショナーとなり、日本のプロ野球、セ・パ両リーグの組織化を後援・支持した。彼の事務室を通して、オドゥール監督やジョー・ディマジオらのスポーツ人が常に往来していた。一九四九年のサンフランシスコ・シールズの日本訪問実現にあたっては、マーカットの橋渡しの役割が大きかった。マーカットは大きな権威と巨大な責任を担っていたが、同時に非常に人情深い人物であった」
 それだけにM資金の噂話は、日本人を魅了するのでしょうか。