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HOME > フォトストーリー > 第3回 X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか「ペギー葉山編」

X氏ヒストリー~占領期をどう生きたか

第3回
「ペギー葉山編」

 2017年4月13日朝刊に、本名・森シゲ子の歌手・ペギー葉山が12日に肺炎で東京都内病院で亡くなったことが報じられた。享年、83歳。「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」「学生時代」などでよく知られ、日本の戦後歌謡界の先駆者として活躍してきた歌手の惜しまれる死である。
 彼女は1933年、東京に生まれ、福島の疎開先そして姉の疎開先の宮城県・鳴子へ母と移った頃、敗戦。それからを2017日6月28日付け毎日新聞の音楽玉手箱で、「戦後ジャズと日本歌謡をつなぐ」と題し、川崎浩(専門編集委員)がペギー葉山を悼んでいる。

 

「一家で東京・中野の家に戻り、46年4月、青山学院中等部に入学。親友の紹介でキャンプで歌い始め、キングレコードからペギー葉山(その時の名は小鷹狩繁子=こたかりしげこ)として「ドミノ」でデビューするのは52年11月。同じキングの江利チエミは、同年1月に15歳で「テネシーワルツ」でデビューした。この2人は、その後、民謡歌謡を歌い、ミュージカルやテレビドラマなどにも出演と、大変よく似た芸道をたどることになる。
 当時、日本の大衆歌謡の作家は数少なく、大衆の求める生き生きとした楽曲を生む出せる環境はほとんどなかった。ジャズブームも後押しし、デビュー曲はおのずと米国曲のカバーとなった。雪村いずみもテレサ・ブリュワーの「思い出のワルツ」がデビュー曲である。この流れは、ロックンロール時代まで続く。「日本独自」の音楽環境が育つのは、フォーク、GSや演歌歌謡曲が生まれる65年あたりまで待たねばならない。」
 58年11月、NHK高知放送局の開局記念番組で、「南国土佐をあとにして」を歌った。このご当地ソングは「一気に全国区へ。すぐに録音し59年5月には発売。1年で100万枚、累計200万枚という戦後史に残る大ヒットとなる。
 戦後大衆音楽界が、戦時歌謡、ジャズなど複雑にからみ合いながら形成されていったことが、胎動期にトップ歌手だったペギーの姿だけでうかがえるのである。」

 

 ここで、ペギー葉山の映画音楽メドレーを聞いてみよう。

 あわせて、彼女の懐かしいヒット曲「学生時代」「ドレミの歌」「南国土佐をあとにして」に耳を傾けてみよう。