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PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.45
「日本郵船横浜支店ビル」

 海岸通1丁目の横浜税関ビル(クイーンの塔)を出て、海岸通りを万国橋通りに向けて歩く。隣の海岸通2丁目に神奈川県警察本部が居を構えており、その前をさらに進むと、海岸通3丁目の信号前に、日本郵船歴史博物館がある。

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 そこは、日本郵船の横浜支店として1936年に竣工した建築物で、ギリシア・コリント式列柱が配されたファサードが堂々としている。


  • 海岸通から日本郵船歴史博物館を見る。

  • 税関ビルから海岸通りを進めば
    郵船横浜支店ビルのコリント式列柱が
    目に入る。

 河原匡喜著『連合軍専用列車の時代――占領下の鉄道史探索』には、こうある。
「連合軍の進駐が決まったとき、日本政府は横浜・関内で多くのビルや建物を整備し受け入れの用意をしたが、郵船横浜ビルはこの中には入っていなかった。……政府機関の船舶運営会が使っていたためで、連合軍は横浜に来てから郵船横浜ビルを視察し、ただちに接収した。

 司令官ベッスン准将以下、輸送指令部の要員が厚木飛行場に到着したのは八月三〇日か、三一日か記録はない。
 ベッスンは九月一日には日本側に連絡をとり、翌日から会談、視察などの活動を開始しているが、郵船横浜支店ビルに司令部を開設したのは館内の整備が終わった九月五日以降になった。このビルは連合軍が横浜で軍用のメインステーションとした東横浜貨物駅にも近かった。輸送指令部は、名称が変わっても占領期間をつうじて、この郵船横浜支店ビルの一階に設けられた」

 今、この一階は、日本郵船歴史博物館になっている。
 そして、同書によれば、占領下の鉄道輸送については、「連合軍総司令官のマッカーサー元帥は九月四日、占領下の日本に当初予定していた軍政を敷かず間接統治で臨むことを決定したが、連合軍は日本の鉄道を視察するまで直接に現場の指揮と運営を行なう状況を想定していた。このためマニラには二〇〇〇名以上のアメリカ軍の鉄道要員が待機していたが、鉄道も間接統治とすることで、マニラの要員は本国へ帰した。ベッスンは日本の鉄道を信頼し責任を持たせて運営させ、余剰人員をすみやかに本国に帰すという合理的な判断を下した」そうである。

 

(文責:編集部MAO)